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「カモメのジョナサン」について

純粋な生き方の裏にある危うさ

【十界モニター】

現代の宗教書として『かもめのジョナサン』があげられていましたが、どんな内容でしょう。また何か問題はありませんか?


 宗教書というのはいわば光の書です。ただし「己の闇を知らずして読むべからず」と強く警告したいと思います。なぜなら自分というものが吹っ飛んでしまうことがあるからです。そのことを以下、『かもめのジョナサン』のあらすじを追いながら説明してみたいと思います。

 ジョナサンの純粋な生き方

すべてのカモメにとって、重要なのは飛ぶことではなく、食べることだった。だがこの風変りなカモメ、ジョナサン・リヴィングストンにとって重要なのは、食べることよりも飛ぶことそれ自体だったのだ。その他のどんなことよりも、彼は飛ぶことが好きだった

 ここに出てくるカモメは、明らかに擬人化されたもので、「飛ぶ」ということが「生きる」という意味をもっていると解釈されます。すると「生きること自体に意味を見つけた」ジョナサン。それに対して両親は「皆さんと同じようにしなさい」「腹の足しになる事をせい」と諭す訳です。一度は聞き入れたジョナサンでしたが、やがてその無意味さを悟り、飛ぶ練習に打ち込んでゆきます。

 しかし度重なる失敗に自分の限界を感じたジョナサンは、《いま、この瞬間からおれはまともな(普通の)カモメになってやるぞ》と心に誓い、群れの仲間と幸せに暮らす道を選びます。

 ところが群れに戻る道すがら《うつろに響く不思議な声》つまり悪魔の声を聞き、逆に《ジョナサンは突然まばたきをした》つまり「ひらめいた」のです。すると、さっきまでの苦痛と決心とが、たちまち吹っ飛んでしまいました。

いまや、さっきの誓いのことなど、すさまじい風に吹きとばされ、忘れ去られてしまっていた。そして彼は自分できめた約束を破っていながら、いっこうに悪いとは思っていなかった。ああいう約束は、世間一般の連中のものなんだ。真剣に学び、卓越した境地に達したカモメには、そんなたぐいの約束なんて必要じゃない

 やがてジョナサンは時速三百四十二キロの「限界突破」をやってのけるのですが、群れの「評議集会」に、不名誉のかどにより呼び出されます。

不名誉のかどで中央に? そんな馬鹿な! 〈限界突破〉なんだぞ! 連中にはわからないのか! やつらが間違ってる、こいつらの間違いだ!

 ジョナサンの叫びは無視され《一斉にもったいぶったしぐさで耳をふさぐと、かれに背をむけた》つまり群れを追放されます。その後一人で多くのことを学んだジョナサンは、やがて二羽の輝くカモメに促され空のかなたへ消えていきます。

 ここでパート1が終わり、パート2では別世界に行ったジョナサンがますます修行に打ち込み〈瞬間移動〉に挑みます。

「そうだ、本当だ! おれは完全なカモメ、無限の可能性をもったカモメとしてここに在る!」 彼は激しい衝撃のような歓びをおぼえた

 その瞬間、ジョナサンは他の惑星に移動していました。別世界でも修行を終えた彼は、もう一度群れに戻ります。そしてパート3では、ジョナサンは指導者となり、若い仲間を従え、数々のデモンストレーション飛行を行わせます。そしてある日、翼の動かなくなったカモメが彼に助けを求めに来ました。

「ぼくが飛べるとおっしゃるんですね?」
「君は自由だと言っている」
 その言葉を聞き終えるとすぐ、素直にしかもすばやく、カーク・メイナードは楽々と翼をひろげた。そして暗い夜空に舞い上っていった。群れは百五十メートル上空から、ありったけの声でかん高く叫ぶ彼の声に眠りを破られた。
「飛べるぞう! おーい! ぼくは空をとべるぞう!」
 以来多くのカモメが憧れ、もしくは嘲りにやってきます。

 そしてある日、仲間は教えを誤解した群衆の攻撃にさらされることになります。しかし《たちまちのうちに、彼らはかなり離れたところに立っていた。つめよってきた暴徒たちのくちばしは、むなしく空をきってひらめくだけだった》と、難無く逃げ出してしまいます。そして《朝がくるころには、群れは自分たちの狂気じみた行為を忘れてしまっていた》と、群れの馬鹿さ加減をあらわします。それでもなお「群れを愛しなさい」「カモメ本来の姿を発見する手助けをするのだ」と、ジョナサンは弟子に言い聞かせ、自分は虚空に消えていきます

 食べること働くこと群れること

 この本を最初に読んだ時、私は非常に憤慨しました。物語りにではなく訳者の解説にです。

 それにしても私たち人間はなぜこのような〈群れ〉を低く見る物語を愛するのだろうか。私にはそれが一つの重苦しい謎として自分の心をしめつけてくるのを感ぜずにはいられない。食べることは決して軽侮すべきことではない。そのために働くこともである。それはより高いものへの思想を養う土台なのだし、本当の愛の出発点も異性間のそれを排除しては考えられないと私は思う

 物語に感動し、ジョナサンの中に真の宗教者の姿を見ていた私は、「こんな人に翻訳をしてほしくなかった」と思いました。どうして頑迷な権威者の肩を持つようなことを言うのか、改革の気勢を削ぐような妨害をするのか――ただこの五木寛之氏の言葉は、ある種の危険についてはよく言い当てていたのです。たとえば、現在では誰の目にも明らかな「問題の多い宗教団体の精神構造」を言い当てています。

 この物語りでは「群れ」の様子はつとめて醜く、逆にジョナサンは輝かせて描きます。例えば

彼はやっと手に入れた小イワシを追いすがってくる腹ぺこの年寄りカモメにぽいと落っことした

というくだりなど、「老人に対する優しさ」というより、ある種の蔑視を感じます。また

彼のただひとつの悲しみは、孤独ではなく、輝かしい飛行への道が目前にひろがっているのに、そのことを仲間たちが信じようとしないことだった。

という群れへの憐れみは、裏返せば現実離れした有頂天の自己が問題になっていません。また、仲間を得た後は

毎時間、ジョナサンは彼の生徒それぞれにつきっきりで模範演技を行い、ヒントを与え、強制し、指導した。彼はたのしみに、生徒たちと夜間飛行を行い、雲や嵐の中を飛んだ。その間、群れのカモメたちは、みじめにも地上で押し合いへし合いしていなければならなかったのだ
というように、「エリートの生徒たち」と「相変わらずの群れ」を対比させます。

 スティーブ・ジョブズ的な生き方

 純粋で頑張り屋のジョナサン、誰もが一度はこういう存在に憧れを抱きます。

 この物語を最初に受け入れたのは、アメリカ西海岸のヒッピーたちでした。ヒッピーについて現在の若者は知っているのでしょうか。東海岸にあった保守的な権威主義に辟易し、反戦を叫び、「自然に返れ」と叫び、肩まで髪をのばし、麻薬を吸い、奇抜な行動に走る若者達。彼らの反社会的文化は世界的な広がりを見せ、カウンター・カルチャーとして花開き、現代文明を牽引していきます。スティーブ・ジョブズに代表されるPC革命も彼等なくしては語れません。当然、日本の若者達にも多大な影響を及ぼしました。

 しかし当時の日本で、ヒッピー文化を本当に理解する人が果たしてあったのかどうか――これは日本を侮蔑して言うのではなく、ヒッピー文化が根付く社会構造に、当時の日本があったか、と疑うのです。

「僕の髪が肩までのびて〜」と歌い結婚を求めたり、「就職が決まって髪を切ってきた時、もう若くない」からと、言い訳する当時の日本の若者。当時の日本は、優秀な技術者がその本領を発揮しつつあり、そのお陰で国が発展していく過程を歩んでいたのに、全く幼稚で無邪気すぎる悩みは微笑ましい位です(※註:この表現については、「僧侶として適切な発言でしょうか?」との批判もありました)。日本はじめ世界は戦後復興の途上で、アメリカのような豊穣な環境にはありませんでした。

 さて、文化論を展開しても仕方ありません、ジョナサンの生き方の問題です。ヒッピー達はジョナサンの姿に自分たちの理想を重ねていきます。反社会的で無秩序と見えたヒッピーも、実は「極端に真面目な精神」も求めていた、と分かります。反社会的な行動の裏には、アメリカ社会がこの物語りにある「群れ」のような姿に、彼らには写ったのでしょう。そして群れは常々余計な口出しをしてくる、強制を強いてくるわけです。

 ただ食べるためにあくせく働き、群れの掟に逆らわずに生きる。そんな生き方はいやだ。生きる目標が欲しい。何のために生きているんだ! ――そう叫んだ若者達に社会は答えを出せずにいたのです。アメリカは当時、世界経済の半分近くを独占する超超大国であり、軍事面、政治面、どれも他の国とは比較にならない力を得ていました。

 しかし、資本力は際限なく拡張を続け巨大権力となり、人々を圧迫し始め、調子に乗って泥沼のベトナム戦争をしかけてしまいます。まだ軍事力で世界が動くと信じていた愚かな政治家たち。アメリカの保守的で息の詰まる価値観≠世界に押しつけるため、違う価値観の国を侵略していったわけです。しかし、ニューヨークの教会で冷たい床に跪き祈りを奉げろと強制された若者たちは、自然に「夢のカリフォルニア」が沁みたのでしょう。

 ヒッピー文化はそんな時代が背景にあったのです。そしてジョナサンも、そうゆう爛熟した空でこそ、はつらつと飛べたのです。もし飢餓に苦しんでいるような国にこの物語を持っていっても理解されにくいでしょう。夢は胸にしまい、食いつなぎ、命をつなぎ、一歩一歩と前進。大人たちが仕事を見つけ必死に働く事は、家族全員の命を支える為であり、明日に希望を繋ぐための土台であるからです。治安の維持や衣食住の土台、各種インフラが整備されなければそこから先の夢は花開きません。

 さてジョナサンは、群れの中から純粋なカモメを集め、いわば学校を作りますが、群れと学校はあくまで別の世界、一つにはなりません。ここでしばらくジョナサンは活躍し、去って行ってしまいます。なぜここで終わるのか、終わる必要があるからです。もし物語の続きを求めればシナリオは二つの方向に行き着くでしょう。そしてそのどちらも、寓話の夢を覚ましてしまうからです。

 現実のジョナサン

 まず一つ目は、ジョナサンの教えが勝利し、群れの掟が「自由と無限の思想」を反映したものになる、というシナリオです。ハッピィーエンドですか? しかしまだまだ現実は終わりません。「自由と無限の思想」であっても、それが群れの掟となり権威を持ち固定化し、新たな束縛を生み出す可能性が出てきます。これは実際の話で言えば、巨大化に成功し権力を得た宗教団体や革命組織が「純粋な生き方を求め、虐げられた者を救う」という初心を忘れ、自ら自身が人民の支配者となり、反逆者には完膚なきまでに弾圧を加えてゆく、という歴史が物語っています。改革者精神のみが残って既得権は手放すような会社や国家などあった試しがありません。

 二つ目は、ある程度群れに影響を与えたが、やがて学校は解散。ほとんどのカモメは群れに戻りそこで「立派に」やっていく、一部のカモメは別の学校を作ってまた若者を集める、というシナリオです。ヒッピーの末路もこうした経過をたどることが多かったようです。
 権力に媚びることなく、自分たちの生き方を模索し、何かしらの成果を上げても、時を経るごとにその感覚や思想が陳腐化し、新たな時代に対応できず老害の権化となる。後にはただ頑迷で強欲で暴力的な抜けがらだけが残る……「おい、どうなってるんだ」と叫んで、説明を求めたくなりますが、こうした心境を歌った曲が実はありました。

友は政治と酒におぼれて声を枯らし/俺はしがらみ抱いてあこぎな搾取の中に/生まれたことを口惜んだ時にゃ/背広の中に金銭があふれてた

愛と平和を歌う世代がくれたものは/身を守るのと知らぬそぶりと悪魔の魂/隣の空は灰色なのに/幸せならば顔をそむけてる

 既に過去の歌という印象はありますが、桑田佳祐の「真夜中のダンディー」という歌の一節です。彼はふざけながら時々社会に対して辛辣な発言の歌を作りました。ここでは、かつての若者が当時最も嫌悪していた「保守的で金に汚く社会悪に無関心な俗物」そのものの姿が、今の自分ではないか、と気づいています。

 歎異抄は傍流

 ここからは、少し私ごとになりますが、話を具体的にするためですからご容赦ください。

 私が宗教というものを深く考えるようになったのは、中学二年の頃『歎異抄』という書物に出会った事がきっかけでした。自分は寺の生まれでもあり、親鸞の言葉なら仏教がよく分かっていいだろうと、軽い気持ちで読み進めました。

 当時、私は『歎異抄』が明治時代まで一般信徒が読むことを禁じられていた書物だとは思ってもみませんでした。そして禁じられていた訳を、私はやがて身をもって知る事になります。

『歎異抄』は親鸞の弟子唯円らが師の言葉を聞き書きしたもの、と伝えられています。そこには親鸞の生々しい信心の告白がなされていて、師と弟子という関係(ただし親鸞には師という思いは無い)の中でこそ話せる教えが展開されています。
 またこれは、当時の弟子たちの個人的な事情と、教団をめぐる社会的背景の中でまとめられた書だったのです。つまり、聖人みずから書かれた公式な論である『教行信証』とは、性格を異にする内容だったのです。

 十三〜四才当時の私としては、そんな背景まで読み取れるはずもなく、非常にショックを受けました。

悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なき故にと、云々

いづれの行も及び難き身なればとても地獄は一定すみかぞかし

善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや

往生の為に千人殺せといはんにすなはち殺すべし、然れども一人にても殺すべき業縁なきによりて害せざるなり、わが心の善くて殺さぬにはあらず、また害せじと思ふとも百人千人を殺すこともあるべし

 すべては世間の常識とは逆、それでいながらも圧倒的な説得力を持って私の小さな精神世界を根底から揺さぶったのでした。その後、私は仏教に「興味はあるけれど何か空恐ろしいもの」として接してゆく事になります。

 何故こんな事になったのか、今ならその訳が分かります。それは『歎異抄』は単独で読んだら危険な書物であり、教学の中心に据えてはならない内容なのです。
 仏教・浄土教の柱はあくまで『仏説無量寿経』であり、教えの中心は『教行信証』や『往生論註』でなければなりません。これらの経論の解読こそ人生の謎を解く鍵なのです。こうした本流に乗った上で傍流を味わう、『歎異抄』はあくまで傍流、副読本・参考程度に用いないと片寄った人生観になってしまいます。なぜなら『歎異抄』は特殊な事情で書かれた本だからであり、普遍的な内容を含んでいるわけではありません。

 ところが、大して苦労も知らない頭でっかちの中学生が、いきなり『歎異抄』を未消化のまま受け入れたらどうなるか。

 結果は精神的空白として表れました。

 これは「無の世界」とは違います。基礎のしっかりしていない上に巨大建築を建てたようなぐらぐらの精神世界、それを守るため無理に歪んだ部分を強調して捉えた現実世界、私の中に二つの分裂した世界ができてしまったのです。私はそのどちらにも、しっかり足をつけて立つ事ができず、不安なまま青春時代を過ごしました。

 もちろん青春時代は「道に迷っているばかり」なんだと言われますが、私の場合、毎日の虚無感が本当にひどく、様々な思想、宗教、哲学、芸術で、この空白を埋めようとしていました。そんな中で出会ったのが「かもめのジョナサン」でした。そして、これは、本当に「最悪の食い合わせ」とでも言いましょうか、砂上の楼閣がますます巨大化し、現実世界の風や振動がますます危険に思われ、その空虚な距離に地獄を見る思いがした程です。

 ただし表面上は、現実に順応しているかの如く振る舞うことができました。これは一つには「芸術のおかげ」であり、もう一つは「自分のだらし無さのおかげ」によるものでした。

 信仰と信心

 かつて自分が理想とするのは「純粋で自由な生き方」で、それは私の中に根の張っていない精神でした。つまり、ただ金の心配をしなくてもいい年齢、他人の憎悪を受けなくてもいい環境、嘘をつかなくても暮らしていける立場、これらが現実の荒波を避けていただけなのでした。
 もちろんこの精神は大切で、この心が生きる価値を見出していくのですが、自分自身を診察間違いしたまま突っ走れば、足元がおぼつかなくなってしまいます。いわば「若気のいたり」と言われるような間違いを数々犯しました。

 そんな中、私は一冊の本と出会います。『仏教開眼、四十八願』という、仏の願いを詳しく記したものでした。この本は、未解読の『仏説無量寿経』を完全に解読しようとする試みの一環で、全体の核になる本願の解読を試みた書でした。この本を読んで、当時の私の「矛盾していた自我」を、仏の願いの中に見いだすことが出来ました。

 たとえば、著者の島田幸昭師は、「信仰」と「信心」の違いについて次のように述べています。

信仰は、仰いで信ずることですから、神や仏を他者として、向こうに観るという形式ですが、その心は、神仏は尊い、人間は浅ましく力のないものということです。救済の宗教はみなこの信仰の部類に入ります。‥‥信心は「心」は主体性を意味する言葉で、自己の誕生を現わします。自分には浅ましい自分と尊い自分とが、矛盾的に同居していることを自覚して、尊い人間になりたいと願う、本来の自己が誕生したことを現します。‥‥その心を仏性とも信心とも言うのです

 後に、近代において信仰と信心の違いを最初に述べられた方は安田理深氏ということを知りましたが、島田師は、信心からさらに信楽・欲生と歩みを深められます。

 詳細は略しますが、この書を読んで、私は実に基本的な間違いを犯していた、と恥じ入りました。「仏の世界とか、清らかな世界が何処かにあって、そこから自分を救いに来る」という私の勝手なイメージは、完全な誤りだったのです。まして向こうにいる仏が「そのまま救う」ということであれば、努力を否定するに他なりません。

 「信仰」の救いであれば、向こうと自分との間に何らかの『取り決め』が必要です。その約束を守る条件で救いが頂けます。「信仰であるのに約束はなし」などという宗教は、ただ信者を最大限甘えさせ、堕落の口実を与えるのみです。

「そのままが救いの内」と気づかされるのは、主体性のある「信心」によるものでした。仏教は「自灯明」の原則がある通り、絶対者と自分が相対する中での救いではありません。偉大ないのちが私のいのちとなって内側からはたらくのです。
 自分の内に矛盾した姿があるのを自覚し、尊い人間になりたいと願う、その願いの中に、既に尊い心が成就していたのです。逆に言えば、仏の尊い願いが自分の身に満ちたからこそ今の自分の姿を「慚愧もできぬ身」「悪性さらにやめがたし」と嘆き、嘆いた「主体」こそ本来の自己が現出した姿なのです。心眼は肉眼とちがい、見ている対象と、見ている眼そのものを同時に見る眼なのです。

五濁悪世の衆生の 選択本願信ずれば
 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身に満てり(親鸞)

 このように信心の据わり(方向性)があきらかになり、これでようやく自分勝手な「砂上の楼閣」を崩す決心がつきました。次は崩した後に、具体的にどんな生き方を現実に展開するか、という課題です。

 燃え尽きるのか、燃やし尽くすのか

「人間は死を抱いて生まれ 死をかかえて成長する」(信國敦)

 私たちの身体は、生まれると同時に死をその中に抱えています。死は避けようがなく、不死身を願っても叶いません。普段私たちはそのことを忘れようとして生きています。日常生活での話題に死はタブーです。

 死を知らずに生きる、そんなことは無理なのですが、現代人はなるべく死を見ないよう避けて生活していると言えるでしょう。こんな事では薄っぺらな嘘の生き方しか出来ません。そして突然、死が忍び寄って来るのを見つけ、それまでの人生観が根底から崩され絶望する。ここで終わっていては、人生つまらないですね。本当は死があるお陰で生が充実する、完全燃焼の人生を送りたいわけです。

 ふり返ってみれば、私は10歳くらいの頃「無常のいのち」ということを知らされ、恐れおののく日々を過していました。しかし、縁あって見た日本海の偉大さに感動し、「自分も偉大な人生を送りたい。一度きりのこの人生を充実させることに全ての力を注ごう。そうすれば死の恐怖をはるかに凌駕する何かが得られるはずだ」と感じたことを思い出していました。教えを学ぶ以前から、仏法は既に私の内側ではたらきを見せていたのです。

「明日、自分が生きているかどうか定かではない。ならば今を悔いの無いものにしよう」と、腹が据わってこそ自分の道が切り開けます。最近どうも社会全体に緊張感の無い「誰かそのうち何とかするさ」式の無責任な考えがはびこっていますが、みんな「死を忘れた人生観」で生きているせいだと思われるのですが、どうでしょう。

 釈尊はまさに死を見据えた上で、生死の恐怖を克服し、生死から解脱した聖者でした。現実の姿として言えば『なすべきことは皆してしまった、もうすべきことはない。だから、もう再び生まれることはない』と死に際に言われ、涅槃に入られたと伝えられています。生きる一刻一刻を大切に正しく生きられてこそ、こういう境地になれるのでしょう。見習いたいものです。

 共に生きるか、衆生教化か

人間はただいそいそと生活を営んで命の年数が日夜に去ることを覚らない/灯が風の中にあってまだ滅しないようなもので、ただふわふわと迷いの生を重ねるのみ/限りない苦しみから出て解脱することは未だ得られず、何故その恐怖におののかないのか/各々強健で力有る時に(正しい法を)聞き、自らはたらき自ら励し不変なるものを求めよ(善導)

 さて釈尊に見習いたいのですが、見習えない自分がここにいます。

 あっちの用事、こっちの義理。考えてみれば食うために働き、働くために群れて掟を守る。それ以外、何か一つでも「大切な時間を過ごした」と言えるものがあっただろうか。そんな猛反省が促されるす言葉です。しかし「日々を大切に充実させて生きたい」という願いは、我が内なる叫びでもあります。そのため自堕落に過ごした夜は、空しさで眠りが浅くなり、充実した一日は深い眠りをもたらします。

「本当の人間らしい生き方をしたい。充実した生き方がしたい」

 この内なる叫びは一体、いつ、どこから、どのようにして、我が心に届けられたもでしょう。

ちょっと想像が難しいかも知れませんが、大体次のように説明されています。

 ひそかに仏意を推察すると、すべての人々は永遠の過去から今に至るまで、煩悩罪悪に汚れ、一瞬たりとも清らかな心ではなかった、偽りへつらいばかりで真実の心はない。このためにこそ如来は人々を哀れんで、無限の過去において、一切衆生の救済を願い修行したとき、身口意のはたらきがどの瞬間を取っても清らかで真実の心であった。如来は、この清らかな真実心により、善悪の隔てのない完全な救いを完成された

 これは親鸞の『教行信証』至心の解釈の一端を意訳したもので、つぶさに如来の心と、浄土の建設過程(初期)が表されています。

 多くの過程を経て完成された功徳のいわれを人々に示し、種を蒔き、成長させ、心身いっぱいに菩提心を満ちわたらせようとされる如来のはたらき。私たちは、心を開きさえすればそのはたらきと出会えるのに、いつも無視して偽りの道を歩き、他人に自分の善悪を押し付け、いい気になっている。もう一度、生活の中にはたらく浄土の功徳を学び、社会の中で生き尽くしてゆこう。煩悩罪悪の歴史の中にこそ、浄土の業が寄り添っている。つまり、浄土と宿業は合わせ鏡のように互いを照らし、意味付けている。浄土と宿業を同時に見つつ、自分の現場においては、浄土を背に持って生きる。これが信心の生活であると領解できました。

 さて、こういう信心の生活と、前に言ったジョナサンの活動と、違いが分かりますか? ジョナサンは群れの生活や歴史を《やつらが間違ってる、こいつらの間違いだ!》と決めつけ、純粋な生き方を求めます。群れの連中のやることは無意味なことであり、《こんなことをしている間に飛ぶことの研究がいくらでもできるんだ》と、修行に打ち込みます。

 仏教も、人間や社会のあり方が今のままで良いとは言っていません。しかし常に「回りのどろどろした現実にも育てられた」事を忘れはしません。それに「自分こそが正しい、相手は間違いだ」と考える事は「最も警戒すべき深い煩悩」であると繰り返し指摘されます。実際この二つの事が腹に入っていないと、その人生や生活は破綻をみることになるでしょう。

 人間は確かに雑務に追われて、命を削って生きています。しかし、その雑務の中で得る立場こそ自分が育つ座なのです。この座において世界を理解し、自らの道が試され、困難を切り開き、社会に光を放つことのできる人生を構築していくのです。

 現実の環境、歴史は、気に入らないことも多いでしょう。それでもしっかりと足をつけて歩むと、どんな絶望的な状況でも「この状況こそが大切な宝である」と見い出せ、次の一歩が踏み出せます。何度地に倒れても、あらゆるものが信じられなくなっても、浄土の大地に張った深い根は、現実に新たな世界を創造する力を発揮します。

 現実を離れて答えはありません。自分の生な姿から逃げなければ、深い願いが既に我が内にはたらいて満ち満ちようとしている事を発見出来ます。

 仏の願いは実に私のど真ん中ではたらいているのです。


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