「カラスの被害」という問題が取りざたされて久しい。
特に都会では、生ごみが食い荒らされたり、子どもが威嚇され攻撃を受けたりする被害は後を絶たず、官民あげて様々な防止策が取られ関連商品も多数登場している。しかしこれといった決定的な方策は見つかっていないようである。
一般的には、ごみ出しのマナーを向上させ、防鳥ネットを使用したり、ゴミの袋を工夫する。また、カラスの繁殖期に巣を作らせないようにし、巣があれば不用意に近づかず、威嚇や攻撃から身を守る術が呼びかけられている。
一々の対策については専門家の意見を参考にするしかないが、精神的な問題についてひとつ提言したい。
まず、カラスに対する異常な嫌悪感はそろそろ克服すべきだろう。
カルガモが歩けば「かわいい」と見守り、うぐいすが鳴けば俳句や短歌に詠み、白鳥が舞えばカメラの列が並ぶ。またコウノトリやサギなどは希少動物として手厚い保護の対象となる。人の美意識は否定しないが、もう少し普遍的な生命観をもって見、童謡のようにカラスも「かわいい」と鳴く鳥として鑑賞するくらいの余裕が欲しいところだ。
また、威嚇や攻撃を避けるためには、カラスの行動をよく知ることが第一だろう。それも、毛嫌いして避けるために学ぶのではなく、友だちとして親しく共存するために学ぶのである。
カラスは頭がいい鳥ということは衆知の事実だが、これを駆除の障害として深刻に捉えるのではなく、飼いならすため、もしくは共存のための重要なパイプと考えてみてはどうだろう。手段が整えば鷹でさえ飼いならすことができるのだから、カラスとならばもっと上手に付き合う方法があるはずだ。壁になっているのは人々の無理解ではないか。
いずれカラス自身がゴミ掃除をし、人間の仕事を手伝うこともある、などという未来図を描くことは不可能なのだろうか。勿論それは夢としても、現在よりは親密な関係を築いていきたいと私は願っている。
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浄土の風だより(浄風山吹上寺 広報サイト)