平成アーカイブス 【仏教Q&A】
以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
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質問:私は浄土真宗の教えをとても素晴らしいと思っていますし、自分は浄土真宗の信者だと思っていますが、毎年この時期になると、クリスマスの美しい飾り付けに目を奪われてしまいます。浄土真宗を信じていながら、キリスト教の行事であるクリスマスに心惹かれたり、クリスマスソングを口ずさんだりしてしまいます。これはいけないことなのでしょうか。 節操・信心がないと言われてしまえばそれまでですが、楽しいもの、美しいものは普遍的だと思うのですが…。 |
そうですね。仏壇の中に、サンタの靴が供えてあった例もありますが・・・
「文化・芸術」と「教え」は絶対的な関係ではないのではないでしょうか。仏教でも、教えが伝わる先の文化が取り入れられて、仏教文化として成熟してきた訳ですし、クリスマスも、北欧の文化が取り入れられて、キリスト教の文化になった訳です。
仏教の文化芸術面は、質は高いのですが、クリスマスソングに代表される「華やかさ」が少し足りないようです。
クリスマスなどの行事は、西洋文化の一環として考え、「節操がないな」と苦笑いしながら、適当につきあう程度で良いのではないでしょうか。でないと、西洋文明のほとんどを拒否しなくてはなりませんからね。
他宗教に不寛容になり過ぎると宗教差別や、果ては宗教紛争にまでなります。地球上で繰り広げられている紛争の多くは宗教がらみということを考えると、日本人はある種、そうした紛争を回避する感覚を身につけていると言えるでしょう。ただし、日本の現状が「理想的」という訳ではありません。
かつてインドを統一したアショーカ王は、自らは熱心な仏教徒でありながら、他宗教に寛容だったということを聞いています。これは仏教が主流の地域の特徴ということも言えます。
また、多くの民族・宗教が共存できる文化を持っていた国が、あるきっかけで宗教同士が対立・先鋭化し、たちまち殺し合いにまで暴走してしまう例を、近代世界史に学ぶことができます。
ちょっと話が大きくなりましたが、一人一人が、しっかりと宗教観を確立した上で、なお、他宗教に寛容になれる(ただし破壊的カルトは除いて)という方向が、今後の世界平和の鍵をにぎるのではないでしょうか。
ということは、ご質問いただいたような感覚がベストと言えるのかも知れません。
すべての宗教の本質の増大は、さまざまな方法によって起こるが、その根本となるのは、言葉を慎むこと――すなわち不適当な機会においてもっぱら自己の宗教を賞揚したり、他の宗教を非難したりしないこと、あるいはそれぞれの機会において温和であるべきことである。
それらだからこそ、各自はたがいに、それぞれの仕方によって、他の宗教を尊敬すべきである。もしたがいにこのようにするならば、自己の宗教を増進させるとともに、他の宗教の増進をも助けることになる。(アショーカ王・摩崖詔勅 より)