平成アーカイブス 【仏教Q&A】
以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
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私は東洋医学を学んでいる者です。
仏教をはじめ、東洋の思想に惹かれるものがあったことがこの道に進む縁になりました。
東洋医学では「気」を宇宙の根本であり、生命の根源であると考え、気の思想を基に医学の理論と治療体系を構築しています。
私達の日常においても「元気」「本気」「気楽」などや「気になる」「気がすむ」「気をつける」等々、気という概念と深くかかわっています。
私は東洋医学は仏教の影響を強く受けていると思います。例えば心身一如の考え方などがそうだと思います。
仏教のなかでは「気」をどう捉えているのでしょうか。
仏教と気の思想に何らかの関係があるのか、あるいは全く無関係なのか、
その点についてお教え頂きたいと思います。
仏教では「気」は、「風」とか「呼吸」や「ありさま」などを指し、概ね日常語的な意味以上のことは語られておりません。
仏教の中心はあくまで「菩提心」であり、これは「求道心」ともいいます。
菩提心のことを親鸞聖人は――
入真を正要とす、真心を根本とす、邪雑を錯とす、疑情を失とするなり
『顕浄土真実教行証文類』 信文類三(本)52 菩提心釈 より
と述べてみえます。意訳▼(現代語版 より)
真実に入ることを正しいこととし、またかなめとし、まことの心を根本とする。よこしまで不純なことを誤りとし、疑いをあやまちとするのである。
東洋医学は当然、健康や治療を主眼として理論が構築されていると思われますが、仏教は、あくまで主体的な生き方や姿勢を問うものですから、気を主軸とはしないのです。「心身一如」も、仏教では治療としてではなく、菩提心の問題として語られてきました。
もちろん、長生きしなければ解らない世界も多々あり、実際、僧侶は長生きする人が多いので(たとえば釈尊は80歳、親鸞聖人は90歳と、当時としては驚異的な長寿)、医学の専門ではなくとも、気を上手く使ってみえた可能性はあります。しかしそれは気を意識して用いたというより、菩提心を中心に生活するうちに、おのずと気も整っていた、ということだろうと思われます。
ちなみに、中国の高僧 曇鸞大師は、仙述の道志から長生不死の奥義書を伝授されたのですが、菩提流支三蔵から「少々の長生きが何になる」と批判され、「真の不死の書はこれだ」と言って『仏説観無量寿経』を授けてもらった、というエピソードが残っております。
これは、道を得る一面では肯けるのですが、やはり長生きはした方が良いに決まっておりますから、現実には気の研究は欠かせないものだろうと思われます。
仏教と気の思想との関係について、丁寧にお答え頂きありがとうございました。
「菩提心」を中心とした生き方をすることにより、おのずと気も整うということは、健康の面から考えても核心を突くお言葉であると思います。
今日、生活習慣病と呼ばれる病が大きな問題となっています。正に、健康の面からも、生きる姿勢が問われている時代ではないでしょうか。
” 浜までは 海女も蓑着る 時雨かな ”
ご教示頂いたことを胸に、これからも東洋医学の道に精進してまいりたいと思います。
ありがとうございました。
〉 今日、生活習慣病と呼ばれる病が大きな問題となっています。
〉 正に、健康の面からも、生きる姿勢が問われている時代では
〉 ないでしょうか。
おそらく、そうだろうと思われます。
生きる姿勢をしっかり保った上で、健康面でも様々な情報を得れば良いと思うのですが、今は健康情報ばかり溢れて、逆に迷ってしまう有様です。
〉 ” 浜までは 海女も蓑着る 時雨かな ”
全くその通りですね。
どうせ死ぬ身だからと、養生を忘れては、大事な身体に申しわけありません。
〉 ご教示頂いたことを胸に、これからも東洋医学の道に精進して
〉 まいりたいと思います。
こちらこそ、もし私の身体に異変が起こりましたら、その時はお願いすることになるかも知れません。
重ねて丁重なお返事を頂きありがとうがざいます。
ご指摘の通り、昨今の状況はメディア等で「手軽にできる○○法」の類の情報が氾濫し、一般の方をかえって戸惑わせていると思います。
この状況は反面、健康を他人任せにしている人々の心の迷いが生み出している現象とも考えられます。
安易にメディアの情報に飛びついたり、手軽さを売り物にする商品に大金を出したりするのは、本来自分の健康には自分が責任を持ち、日々の地道な養生が基本であることを忘れているのです。
自分の健康までも他者に委ねてしまう、現代人の身勝手さが表れています。
現代人は多忙と氾濫する刺激に疲弊し、自分の心身の声を聴く素直な感性を鈍らせてしまっているのでしょう。
常日ごろから自分の体調や季節の変化に心配りをし、身体の内なる声に耳を傾けて早目の用心をしておけば、特別なことをしなくとも与えられた命を全うすることができるはずと思います。
「菩提心を中心に生活するうちに、おのずと気も整う」というご指摘は、このような時代であるからこそ正に健康の本道と諒解いたしました。