平成アーカイブス 【仏教Q&A】
以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
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質問:人権問題と仏教の教理とは関係がありますか??? |
仏教では「いのち」を何よりも大切にします。ですから「人権」という人間のみに与えられた権利の受容とは少し違うかも知れませんが、差別や虐殺といったいのちを踏みにじる行為をいかに無くしていくか、という問題意識は常に持っています。
◆ 部派仏教に現わされたいのちの尊さ
部派仏教というのは、出家主義を基本とし、比較的保守的な傾向はありますが、その経典には明確に一人一人のいのちの尊さが説かれています。
その根底にあるのは、各々の生物にとって自己のいのちが最も愛しいという当たり前の認識です。
どの方向に心を向けて探しても、自分より愛しいものは見い出されない。そのように、他人にとっても、それぞれの自己は愛しい。だから、自分を愛しむために他人を害してはならない。『相応部経典』
「自分にとって自分が一番愛しい」だけですと自己愛になりますが、この自己愛を「他人も同じく一番愛しいのは自身」と気づくことから利他が始まります。ですからこの「自己愛」は絶対に否定してはならないもので、大抵、道を誤る元は自己愛の否定から始まります。
さて、そうした他を慈しむ心は、あらゆる生物に注がれます。
いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生れようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。[スッタニパータ146,147]
また、出家者の集いの場である僧伽では、修行の身ですから男女の区別は厳格にありました。しかしその成果については、男女の別はありませんでした。
心がよく安定し、智慧が現に生じているとき、正しく真理を観察する者にとって、女人であることが、どうして妨げとなろうか。快楽の喜びは、いたるところで壊滅され、暗黒の塊は、破り砕かれた。悪魔よ。このように知れ、――そなたは打ち敗かされたのだ。滅ぼす者よ。『テーリー・ガーター』ソーマー尼の言葉
大乗仏教というのは、部派仏教が杓子定規な教えに凝り固まって、教えを先細りさせてきたことを批判した仏教の革新運動で、長年にわたって如来の真意を明らかにする努力を続け、社会的使命を自覚し、皆共に覚りへの道を歩もうと呼びかけられます。
ですから、そこに展開される教えは、個人の問題だけでなく、社会のあり方を積極的に変革するはたらきを示すものとなります。
ただこのあひだのみ悪多くして、自然なることあることな し。勤苦して欲を求め、うたたあひ欺紿し、心労し形困しみて、苦を飲み毒を 食らふ。かくのごとく怱務して、いまだかつて寧息せず。われなんぢら天・人 の類を哀れみて、苦心に誨喩し、教へて善を修せしむ。器に随ひて開導し、経 法を授与するに承用せざることなし。意の所願にありてみな道を得しむ。仏の 遊履したまふところの国邑・丘聚、化を蒙らざるはなし。天下和順し日月清 明なり。風雨時をもつてし、災 >起らず、国豊かに民安くして兵戈用ゐること なし。〔人民〕徳を崇め仁を興し、つとめて礼譲を修すわれなんぢら諸天・人民を哀愍すること、父母の子を念ふよりもはなはだ し。いまわれこの世間において仏となり、五悪を降化し、五痛を消除し、五焼 を絶滅して、善をもつて悪を攻め、生死の苦を抜いて五徳を獲しめ、無為の安 きに昇らしむ。
【現代語訳】
(仏の浄土と比べ)ただ、娑婆世界だけが悪が多くて、功徳がおのずからそなわることなどなく、苦労して欲望を満たそうとし、互いに欺きあって身も心も疲れはて、苦を飲み毒を食らってくらしているようなありさまで、いつもあくせくとして、これまで少しも安らいだことがない。
私はそななたち天人や人々を哀れみ、懇切丁寧に教え諭して功徳を積ませ、相手に応じた導き方で教えを授けるのであるから、これを信じて修めないものはない。すべてのものは願いのままにさとりを。得るのである
仏の歩み行かれるところは、国も町も村も、その教えに導かれないところはない。そのため世の中は平和に治まり、太陽も月も明るく輝き、風もほどよく吹き、雨も良いときに降り、災害や疫病などもおこらず、国は豊かになり、民衆は平穏に暮し、武器をとって争うこともなくなる。人々は徳を尊び、思いやりの心を持ち、あつく礼儀を重んじ、互いに譲りあうのである。わたしがそななたち天人や人々を哀れむのは、親が子を思うよりもなお一層深い。だからわたしは今この世界で仏となって、五悪を取り除き、五痛を取り除き、五焼をすべてなくして、善をもって悪を攻め滅ぼし、迷いの世界の苦しみを抜き去り、五徳を得させて、安らかなさとりの世界に至らせるのである。
[仏説無量寿経 下巻 正宗分 五善五悪]
大乗仏教は、在家の人々との関わりが大きく、また様々な時代、国、社会の中で教えを展開する必要がありましたので、理想論だけで終わったり、出家者のように修行の場だけで通用する教えではもはや充分とはいえません。
上記の『仏説無量寿経』は、まさにそうした世間のあらゆる階層・性別・賢愚・善悪の差を超えて、それぞれのいのちをその現場において輝かせる教えとなっています。