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【年間テーマ:  心の扉を開く】
平成15年度

家族形態が変化する中で

『心の扉を開く』2−3

9月29日勉強会3 [講師:西光義敞先生]

 未体験の家族形態

「拡大家族」・「直系家族」というのは、三世代・四世代が一軒の家の中に住んでいた。そういう家の中で、祖父・父・長男に中心が移っていく、そういう「家」が中心でした。
 女性も、結婚するというのもそこの家の嫁になる。だからこの時代の女を表現するのに、「女」として一番「良」い時代は「娘」の時代、それがどこかに「とつぐ」と「家」つきの「嫁」になる。この時に涙ながら姑の顔を見ているのですが、「嫁」も20年30年と「古」くなったら「姑」になる。よく出来てますね、前近代の女篇の漢字。
 ところがこんなのは若い人は反発して、「私は○○家の嫁に行ったんじゃなくして、○○さんと恋愛結婚した」という形になってきました。

 この(前近代の)中には良い面も悪い面もあった訳ですね。
 良い面というのは、色々な触れ合いができた。兄弟喧嘩をしますね。そうすると上の者が小さい者の面倒を見るということを、自然に兄弟生活の中でやったり、腹立つ時は弟を殴ったり、泣かしたり、その時に悔しい思いをするとか、可愛がっていくという、人間関係の機微を毎日の生活の中で小刻みに覚えていった。
 この中では完全に立派で人格者なんて居ない。みんな不完全。不完全な者どうしが、こういう生活を通して人間関係を暮らしの中で覚えていった。秩序とかルールというのは社会的にできあがっているからね、長男を立てるとか、食事の場所もお父さんはここ、一番下は嫁の場とか、お風呂に入るのも、お爺さんが入って、お父さんが入って、男が入って、次に女とか。地域的には九州、宮崎・鹿児島あたりに行くと濃厚にこういうものが残っています。

 以前、鹿児島で国体があった時に、男ばっかり呑みに外に出て、女の選手が先に入浴したら、宿の主人が見て「あんたら、男より先に入るな!」と怒って、外に出てた男を全部呼び戻して、「こんな常識の無いことではいかん」と叱られた。皆きょとんとして「空いてる人から入ったらええんとちゃうか」と言っていた、という話があります。
 もうあれから20・30年経ってるから、そんなことはないでしょうが。こういうものを濃厚に残して、制度としても固まっていた。ルールも、善い悪いは別として、それを守っていったら、女の人でも「家に嫁ぐんですよ」と。「あなたはここの嫁ですよ。辛抱してね」と言ったら、「はい」と言って、辛抱して舅姑の顔を見ながらやれば、やがて子どもを育てて、60・70歳になると姑になって、世間も回ってくる。そういう義理と人情の世界ですね。義理さえ守っておけば、人情も豊かな、いいところもあったわけです。

 ところが、戦後の民主化した核家族のモデルというのは、父と母と子ども2人。これやったら人口はずっと横ばいになるはずやったんです。ところが今は1.5人を切ったんやないですか。2人も産まない。そうすると当然、少子化になってきます。それが止まらないから、何とかしなくてはいけないと言いながら、止めることができない。
 家を守っていくことが任務だ、ということの意識が若い者にはない訳だから、特に女の人が「産むのは自由でしょ」と言う。そこへもってきて、「子どもは1人でも育てるのは大変だ」と。夫は仕事ばっかりで見てくれない。子どものお守りは全部私にかかってくるけど、もうしんどくてやっていけない。しかも中学高校大学出したら何千万と教育費がかかる。1人だけで結構、と。さらにいくと、1人が一番気楽だ、ということになる。

 しかも、<女は男の人に稼いでもらって家を守るしか仕方がない>という意識が長らくあったのが、戦後は急速に崩れました。学歴は対等。私は大学の先生をやってましたけど、女の方がしっかりしてます。学歴も、男が優秀ってことは無い。むしろ女の方が利発な子が多い。
 だから大学を出て就職をするのなら、同じような条件にしてくれるはずなのに、会社の意識が古いから、男優先に採るとか、同じように入ったのに、お茶くみは男はやらない。
 ひと昔まではそれが当たり前だったのですが、今は「なんで私がやらないかんの」という女性が増えてきた。

 そういう訳で、「女と靴下は戦後強くなった」と言われたように、段々高学歴で職場進出する、ということは、子どもの立場でいえば、家にぴったり居って育ててくれた母親が居ない時が多い。そういうことが社会的に進行していってるわけです。
 そして、一人っ子になったり、結婚だけして子どもは居ない、そういう家庭が増えているわけです。子どもが居っても、アメリカ程じゃないけど、すぐ離婚する。欧米に比べれば日本は少ないけど、離婚の動機とやり方が日本的というのがあるんです。その辺まで掘り下げないといかんと思うが、とにかく離婚すると父子家庭・母子家庭ができる。これは社会的に不利ですから、母子福祉法があるくらいです。

「これが理想や」と言っておったのが、これは夢の話で、少子化、欠損家族になってきているわけです。そうすると、昔は自然な形で一軒の家族の中で色々な機能が果たせたのに、それが果たせなくなります。医療も、福祉も、教育も皆外に出てしまったわけです。
「一体、家族って、何でこんな無理して作ってるんや」と、「家族はもう解体すべきじゃないか」というところまで家族社会がいったのに、おっとどっこい、そうはいかん。社会集団の最小機能単位はやはり家族ではないか。そうすると、家族という集団で他では取って代われない機能は何なのか、いうことを模索してる時代になってきました。

 だから難しいんです。なぜかといったら、西洋人も体験してない、我々の先祖も体験していない、というような事態が地域の中でも家庭でも起こってきているわけです。どうしていいか分からん訳です。
 だから、うんと心理的に、たとえば閉じこもりの家とか、あるいは摂食障害でもいいですよ、何か<これは困るな>と思って声をかけてあげたいんだけど、どういうふうに援助したらいいのか、という問題が出てきているわけですから、これは簡単に「こうしてあげたら、はい一丁上がり」というほど簡単ではない。全部こういうこと(家族形態)と関係していますからね。

 年齢毎の悩み

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 また、家族内の人間関係以外に、家族を置いてる地域環境があるわけです。
 皆さんはまだ若いですが、仰るように「子どもの時には広場があった」、「虫を採った」、「自然に自然と触れてたけど、今は出てはいけない、採ってはいけない、走ってはいけない」と言って、がんじがらめになっている訳だから、子どももかわいそうですね。ますます保護という束縛を子どもに課している。子どももすごく生きづらい。
 発達的にいったら、親から離れて「私は私の自由にやりたい」というのは本能的なものですから、動物的な欲求ですが、それがあまり認められない。

 父親は、そこまで考えて社会的機能として家の中で役割分担する。社会に出れば皆役割をもって働いている。核家族でも、小さいうちから、お掃除でも何でも役割を持たせる、という形によって、ゆっくり徐々にではあるけれども、子どもをトレーニングしてる、というお父さんからは閉じこもりとかは出てこない気がします。
 大抵のお父さんは、どこに行ってるかというと、職場ですよ、仕事仕事。関心は外でしょ。そうすると、お爺ちゃんもお婆ちゃんも誰もいない。家にいるのは母親だけです。ところが母親も「私だって働きたいわ」と、言ったら、家族の子育て機能は脆弱になってきている。そこへもってきて兄弟の数が少ない。。

 昔は「人生わずか50年」と言っておったのが、ここ30〜40年の間に30年平均寿命が延びたわけです。少子高齢化社会になると、年齢的に幼少期の問題、学校教育の中高大学の問題、それから就労の問題、過労死の問題、いろいろ出てきているけど、とてもとても家族の中だけでは処理し切れない問題が背景にありますから、どうしても社会的支援がいるわけです。

 反対に、年寄りの側からいきますと、だんだんと独居老人が増えてきている
 まだ60・70歳で両方が健康で支えあっているときは、体も元気だし、中年の人に比べれば貯金も沢山あって、体も自由に動く。若いものだったら気詰まりになったけど、「二人だけで旅行でも楽しみましょう」と仲良く生きているのは、ある意味最高なんです。
 それもほんのしばらく、やがてどっちか先に死ぬ。それで独居老人になる。それからボケが始まる。これは医学的にはっきりしない問題。それから最後に、私も思いますが、「いったいどこで誰に看取られながら、どんな死に方をするのだろう」と、切実な問題。政治のレベルでも、家族問題としてきちっと解決できる体制や仕組みができてませんから、年寄りは皆すごく不安です。

 また女性は、男女平等といいながら差別されているというんで、すごく深刻な問題を抱えている。一番しんどいのが50歳以後の女性。本当の意味の援助がいるんじゃないでしょうか。
 上に年寄りを抱えているわけですよ。お世話せんならん。世間もそういう目で見てるわけです。子どもは小さい時はそうでもなかったけど、高校・大学生になると金がかかる。両方から挟み撃ちにあってるわけやから、働かざるを得ないわけです。ところが働く状況というのが、バブル以降すごく深刻で、一流大学は出たけれど、という時代になってるわけです。

 考えてみたら、すごく難しい社会の中で家族問題が起こってきている。その深刻な問題の一つが閉じこもりの問題。しかし閉じこもりだけでなくて、ドメスティクバイオレンス。家庭内で家族同士が助け合うどころか暴力を振るうわけでしょ。ところがどうしても家というのは閉鎖的ですから、表に出ない。表に出た時はどうしようもなく深刻になっている。やっと社会というのは、そういう次元が起こってから報道して騒ぐわけです。
 だから仰った通り、そうなる以前に、予防的というか、大きなことが起こらないような対策はどうしたらいいのか、それを寺としてお役に立てないか、という問題意識は素晴らしい。名古屋仏青は大したものだと思います。これは。

 閉じこもりでも、どの段階でどういう閉じこもりなのか、ということもきめ細かく観ていく必要があります。
 たとえばお年よりの鬱の人が増えてます。誰も理解しようとしてくれない。働いて健康で財産を持っている時は社会もちやほやしたけれど、子どもも寄ってくれてたけど、だんだん弱ってきて、お世話にならないかんようになってくると、急速に皆関心を寄せなくなってくる。だから、「子どもを苦労して育てても育てがいがないな」というて嘆いている年寄りが沢山います。

「あんたのところの子どもはようできるね、うちの子どもらと違って」と言われるような子ども。「うちの子どもは、塾に行かなくても東大に入ったんです」と言ってこんなん(天狗)だった。それが「今悩んでいるんです」と、「一流国公立大学に入れたら良いやろと思ってたけど、失敗やったな」と、「むしろ二流三流のところで、地域のどこかでおってくれたほうが余程ええ」とかね、そう言ってます。もう遅いですけどね。そういう老いてからの葛藤がある。

 さわやかな人間関係

―― 根の深さが解ればわかるほど、どう関わっていけばいいのかが、余計に解らなくなります。

 こういう根の深さが解って、こういう視野から見ていく事が大事。下手をすると評論的になる。「時代社会が悪い、しゃあないな」と。そういうところで話が留まってしまうけれども、我々の生活の現場においては、そうは言っておれない深刻な問題が起こってきますから、具体的にどうしたらええのか、と考える。

 寺院家族はこちら(拡大家族)を多分に残した、どっちかというと、純粋の核家族化した給料だけで生きてる家族じゃないので、だから特殊なんだという気づきはきっちと持っているといいんじゃないかな。そのプラス面とマイナス面をきちっと自覚していくということが大切。
 もう一つは、これは私の専門に引き寄せするのか知りませんが、解決するポイントは、やはり対面のところで相手の居所をしっかり見定めて聞くということ。
<どうせ言うたって聞いてもらえない、解ってもらえない>と、みんな嘆いているんですよ。だから、「ああ、聞いてもらえた、こんなに解ろうとして下さる人がここに居た」と。それがお寺さんやとなったらいいじゃないですか。
「やっぱり誰に言うても解ってくれん。うちも恋愛結婚であの人と一緒になったけど、結婚した当初はもの分りのいい、ちやほやしてもらえたけど、随分勝手な人だということが見えてきたし、いつも聞き捨て、聞き流し、半聞き、ちっとも聞いてくれない。そして自分の都合のいいことばかり関わってくる」と。「あの人はあれで仕方がない」と。「今の若い人見てたらうらやましい。私ら時代が悪かったんだ」と。

 辛抱して、表面は平和そうに保っていくことだけに力を注いでいくか、ちょっと強気というか自分の生き甲斐のある人生を生きたいと思う人は、そこに男の人以上に、自分の残った人生をどう生きるかと悩む。
 血のつながりは切っても切れないが、夫婦というのはもともと他人だから、「あんたのために大概尽くしてきたわ。子どもを社会に送り出すのは二人の責任やから、けれども皆片付けた」と。
 二人になって、夫婦関係プラス親子関係、二重の機能が絡んできていたけど、夫婦だけが向き合う時が必ずやってくるんですよ。その時、ほとんど見えてなかった自分、関係、淋しさ、いらだち、怒りみたいなものがぱあっと表に出てくる。それをどう乗り越えていくのか。

 人格者が初めから居るわけじゃない。次々と起こってくる問題に対してどうこなしてゆくか、そこのところが問われるんじゃないかな。
 というと結局、親子関係にしろ、夫婦関係にしろ、生身の人間と人間がどのように触れ合い、どのように声かけをして、どのように人の心を理解するような関係でいくのか、と問われる訳やけど、これはもう年寄りであろうと若い者であろうと必要だと思います。

 先ほども出ましたが、機械との対応は日進月歩。機械は文句言わない。ぱっと押したら自分の能力以上にコミュニケートしてくれるわけで、嫌やと思ったら消すことができる。人間はそうはいかん。生身の人間関係は。辛抱して聞かなくてはならんし、それなりの関係の持ち方は、マニュアル読んだら解決するという手が有るわけではない。一つ一つ、暮らしの中で声を聞くしなかいんじゃないかな。
 ということになると、「あんた結局そこに引きつけるのか」と言うかも知らんけれども、アクティブ・リスニングという、しっかり相手の気持ちを聞くという、ああいう地道なトレーニングがいるんじゃないかな。

―― 聞くというのは一番難しいですね。相手がそういう気持ちになってるから、慈悲の気持ちをもって聞くというけど、タイミングもあるし、場所にもよるし、皆の居る前では話せないとか。長年の鬱憤がたまっているものですから大変です。でも、気長にという言葉は適当ではないですが、こちらが焦っちゃうと立ち直ることも避けてしまう。人を助けることはできないかも知れないけど、同じ人間同士の触れ合いが必要だと思います。

 家族はひとつのシステムじゃないですか。やっぱり夫は夫としての役割があるし、妻は妻としての役割があり、子どももありますね。そういう役割が上手く機能している時に、家族というシステムが上手く機能していくと思うんですよ。これが一つ狂いだすと、目に見えないネットワークのバランスが崩れてきますね。ですから目に見えないネットワークというか、コミュニケーションというか、そういうことの配慮が大事だなと思います。

―― もう一回アクティブ・リスニングは練習してもいいかなと思います。

 こういう色々な問題があることを基礎として、何かの場面で「きちんと聞く」というのはどういうことか。聞き方というか、人の言うことを聞いて理解するということの積み重ねでしょ。それが、上質なのと、ええかげんなのとでは違う。
 関係が悪くなるということは、コミュニケーションがどこか歪んでしまう。あるいはどこかで固まってしまう。だから「もうこんな関係は嫌や」と思って閉じこもるか、暴力を振ってもそれを破って外に出るか、極端な形になってしまいがちですね。
 閉じこもりとか鬱病というのは、内側へ閉じこもって何とかバランスをとろうとする一つの適応です。もうひとつは、バーンと外へ出ていく。非行とか反抗とか、暴力・バイオレンスというような、世間をあっと驚かすような、ああいう出し方。これが外へ現われる。外へ現われるか内に現われるかどちらかですね。
 どちらがいいかというと、どちらもあかん。そうでないような形で、一人一人の個性とか能力とか生き方を大事にしながら自分も大事にして、そういう立場に立って、さわやかな自己主張をする。そういうさわやかな人間関係をつくるにはどうしたらいいかということを、実践的課題とする。

 長椅子を置いたことで

―― 私のところは商売をしているんですが、自宅近くに、皆さんが通る道に長椅子を置いたんです。スーパーや市場に行く時、必ず通る道ですから、皆ここに立ち寄るんですね。それで何を喋っているかというと、うちの息子はこうだ、うちの旦那はこうだ、という話。いわゆるコミュニケーションの場になっています。
 それで、悩み事がそこから表われてくるんです。やっぱり当の本人は話したいんです、聞きたいんです。うちの母親はそれを聞く方です。そういうことでコミュニケーションができていくと同時に、その家庭内の問題が、自分なりに解決の道に進んでいくんです。

 それは、その時に解決するもんじゃないんです。時間がかかるんです。毎日同じ時間に長椅子に来るんです。それで<よろず相談所>みたいな形になるんですが、それはどこの誰でもできることなんです。
 たまたまうちの路地に長椅子を置いて、そこの通り道がそれであっただけで、皆話したい気持ちは沢山ある。その話したい気持ちを、長椅子でそこに設定したわけです。
 何も「皆悩んでいるなら来いよ」とやる訳じゃないんです。そこへ来た時は、自然と皆のってくるんです。話を聞いて下さいと。それがまだ1年も経っていないですが、そういうのが積み重なって、色々な問題が解決の方向にいく。だから、「奥さんに話して本当に気持ちが楽になった」、「すっとした」と、それも一つの前進の道だと思います。

 そういうのが積み重なって、問題は実際には解決していないんだけど、時間をかけて色々な人と話し合う。アドバイスじゃないですが、話し合いができる。それが一つ一つ積み重なってくる。そのためには聞くこと。やっぱり心の触れ合いが、慈悲の心でもっと触れ合いをすることによって、相手の気持ちは私の気持ちなんだという気持ちをもって会話しないと、全然受け入れてくれないし、もうその人は話をしようと思っては来ないですね。
 だけども、そいう触れ合いを続けていると、買い物の時間でなくても寄ってくる。父の亡くなった寂しさもあり、母も外に出て皆さんと触れ合いを求めた。そのために聞くようにしようと。私も話し合いで「そうしたらどうか」って言って、じゃあ椅子でも置こうと、話し合いで言って、それがきっかけなんです。

 一人住まいの年寄りというのは、家の中に閉じこもってしまう。うちは前にデイサービスとかケアをやっとった関係で、外に出るのが多かったので「お母さん元気ですか」と言葉をかける。かけなくてもいいかも知れないけど、かける。話を聞いてあげるということが、問題解決する第一歩だと思うんですね。
 そういう関係は、これはどこでもできることなんです。それだけなんです。うちはそういうよろず相談所のようになっています。自分の気持ちも落ち着くし、日夜デイケアやデイサービスで訪問で来てくれる人なんかは、在宅のケアをしてくれる人も回っていますから、友達も増えていく。長年触れ合っていくと、お金は別なんです。時間は別なんです。そういう関係になってきた。

 それが日常生活の中では大事なことで、井戸端会議というのがあるでしょ。「わはは、わはは」言いながらやってた。それから落語に、隠居さんのところに相談しに行く場面があります。それから銭湯も、皆裸になって年齢を超えてしゃべったり汗を流したり。

―― 内風呂がほとんどの今でも銭湯がありますが、逆にスーパー銭湯というのも別に出てきています。でもここは、雑談する場というより娯楽の施設があって、初めて会う人と会話することは無い。「どうだい」と言って将棋の相手をすることも無い。
 以前はそういうことがあったし、公園でも年寄りが日向ぼっこして居った。何か悪いことをすると、親より先にそういう年寄りに怒られた。親の教育の前にあった。昔は他人でもわが子みたいに叱ってくれた。だけど今は、よその人が子どもを叱ると「何を余計なこと言うの」と言ってくる若い親がおります。「教えてくれてありがとうございました」ということが無いですね。「私が教えないかんのに、よく教えてくれました」ということが無い。それが現状に近いですね。警察にご厄介になる前に分かることが大事なんです。

―― 今度そのお母さんのところへ行きましょうか。

―― いつも居るよ。目的は相談所じゃないけど、結果的にそうなってきました。目的は親父が亡くなって気持ちが不安定になるから人と、触れ合いを求めたのがきっかけだったけど、助けられたり助けたりすることが多い。

―― 重要な居場所がそこに現われたわけですから、

―― 路地の市場まで行く距離が長いので、年寄りは休憩したい訳です。そこに話ができる長椅子がある。「うちの息子は、うちの娘はどうして・・」と。そうすると「気持ちがすっきししました」と言って家に帰っていくんです。

―― 余計なことを言わずに聞くんですね。

 そういうことができてる地域もあるけど、格差があるでしょうね。高層団地に住んでる場合もあれば、昔ながらの街が残っている所もいろいろあるね。

―― 戦争で焼けなかった地区だそうです。

 家の建て方も、昔は縁側があって、「縁」というのは「つなぐ」という訳やから、そこで人が自然に触れ合えたけど、ぴしゃっと風呂も自分のところの風呂にすると、子どもがたまに銭湯に行くと、パンツをはいてないと入れない子どもがいるくらいです。だから知らん間に環境も変わるし、関係も考え方もじわじわ変わってきます。それで得るものも多いが失うものもかなり多い。急ピッチで失ってきています。

―― 大家族というのは、お爺さんの考え方や親父の考え方、また兄弟でも考え方は違う。それで色々な習慣が身について、その人が世の中に出た時に、会社や社会には色んな人がいますから、色んな対応ができるんです。それが自然に身についてくると思うのですが、今言ったような核家族で、兄弟がいないと、そういうのが体験できないですから、そうすると、上司からは「付き合いが悪いな」と言われてしまいます。身体に身についてないから、対応の仕方が分からない。学校教育じゃないです。本来は社会教育であり家庭教育なんです。だから私は大家族の人たちはうらやましいな、と思います。

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平成15年度 名古屋西別院仏青勉強会 年間テーマ:『心の扉を開く』


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