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【平成モニター】

平成19年2月1日

取り繕いの無い懺悔を

― 食の安全を脅かす問題について ―

 暖簾を汚す

 年末年始、食の安全が脅かされるような事件が続けて発覚した。
 一つは、『不二家』が消費期限切れの原料などを使用した問題。一つは『発掘!あるある大事典II』で納豆のダイエット効果を虚偽・捏造して放送したこと。後者については、私は常々マスコミの偏った健康情報報道を疑問視していたが、さすがにここまで悪質だと社会的な批判を受けざるを得ないだろう。
 当サイト「QandA」のコーナーでも以前――

昨今の状況はメディア等で「手軽にできる○○法」の類の情報が氾濫し、一般の方をかえって戸惑わせていると思います。
{仏教と気の思想の関係について}
とご意見をいただいたことがあったが、ついにここまでやってしまったのか≠ニ嘆かざるを得ない事態となった。

 この騒動によって、今までマスコミがいかに放送の都合に合わせてデータをねじ曲げてきたか、また、いかに人々が放送内容に振り回されてきたか、を知る機会となった。ただ今回は食に関することゆえ皆敏感になっているが、他の、ある意味「自分とは関係ない」と思われがちな冤罪[えんざい]や迷信を生み出すような内容なども検証してゆく必要があろう。『破線のマリス』や『砦なき者』は、そうした問題を扱ったドラマだったが、今後もマスコミによる捏造番組は止むとは思えない。受け手としては、報道内容を鵜呑みにしない批判精神を養うことが肝要だろう。

 また前者の『不二家』の問題も深刻だ。会社は事件発覚当初はパート社員に罪を被せようとしたが、次第に正社員や上層部の関与が発覚し、細菌数に関しても国の衛生基準より大幅に緩い社内基準を設定していたことまで明らかになってしまった。結局は、総じて本社の指示であり、組織ぐるみの不祥事であったのだろう。
 こうした姿勢を見るにつけ、謝罪するならもっと早期に、最初から腹の底をさらけ出して謝罪すべきであった、と思う。雪印の二の舞を避けよう≠ニもがけばもがく程二の舞となっていく過程は哀れである。特に発覚後の対応は隠蔽に走った感は否めず、下手な取り繕いをしたため余計に信用が失墜してしまった。一度失った信用を取り戻す事は難しい。古えより暖簾を傷つけるな≠ニ言われてきた意が身に染む事件だ。

 応法の妙服

 古えより、と言えば、経典にも以下のような願いが記されている。

 たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、衣服を得んと欲はば、念に随ひてすなはち至らん。仏の所讃の応法の妙服のごとく、自然に身にあらん。もし裁縫・擣染・浣濯することあらば、正覚を取らじ。

{衣服随念の願}

▼意訳(現代語版)
 わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が衣服を欲しいと思えば、思いのままにすぐ現れ、仏のお心にかなった尊い衣服をおのずから身につけているでしょう。裁縫や染め直しや洗濯などをしなければならないようなら、わたしは決してさとりを開きません。

 この願文にある「衣服」・「応法の妙服」については、「懺悔荘厳の服」であることは諸師がた共通の理解となっている。しかし「裁縫・擣染・浣濯」の具体的な内容、特に「裁縫」についてはしっくり収まる理解を得られなかった。ただ、島田幸昭師のお領解では――

「裁縫」するとは、生活に不足不満が出た時、これから事新しく、着物を新調する必要のないことでしょう。「擣染」とは、さらしたり、染め直すことでしょうから、人生が色あせて、生活に倦怠を感ずることでしょうか。また「洗濯」するとは、生活に疲れると、いろんな心の垢がつくことをいうのでしょうか。

とあり、ほぼ意を尽くされてみえるとは思うが、ある時より私は、「裁縫」とは「取り繕い」のことではないか≠ニいう見解を持つこととなった。生活上の懺悔となれば「取り繕い」は自身も経験があるし、上述の食品会社の懺悔になっていない取り繕った懺悔の姿勢≠見ると、なおさらこの意を強くする。

 智慧劣る私ゆえ誤謬があるかも知れないが、機会があれば参考にしていただきたい。

[Shinsui]

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