平成アーカイブス  <旧コラムや本・映画の感想など>

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【平成モニター】

平成15年3月22日

イラク攻撃と日本の選択

価値観を変革することで平和な世界を

 アメリカ軍のイラクへの攻撃が始まった。今回はとても多国籍軍とはいえまい。おそらく一国を除いて全ての国がこれほど大々的に屈辱にまみれた戦争は歴史上存在しなかっただろう。アメリカの石油利権に対する執着がイカンなく発揮された戦争だ。
 それでも「武器の完全廃棄を拒んだフセインが悪い」、「いや、武力行使を急いだブッシュが悪い」等、意見は分かれると思うが、誰かを非難するだけでは平和は築けない。戦争をする因縁が整ってしまったために戦争が起こったのであるから、今からは平和を構築すべき因縁を展開することが私たちの勤めとなるだろう。日本の死活はまさにここにかかっている。

 巨悪も宿すアメリカ文明

 戦争の経緯は様々な資料から調べることができるが、様々な情報を受けて私たちが学ばなければならないのは、こうした最悪の事態を生まないためには、どこで流れを変え得たかを検証し、今後の平和な世界建設の手段を得ることだろう。

 今回、ブッシュ政権に戦争を決意させたのには多くの要因があるが、まずは1991年におきた湾岸戦争の心残りを晴らす、という信念があるのだろう。
 先の戦争がほぼ終結し、フセイン政権も風前の灯となったとき、アメリカ軍の呼びかけでフセイン打倒の勢力が立ち上がったのだが、アメリカ軍は協力の約束を違えてこれに加勢せず、あっさりと引いてしまったのだ。そのため、反フセイン勢力は全て抹殺されてしまった。親米に傾きかけていた民衆は裏切られ、見殺しにされたのだ。
 結局イラク国民は戦争の被害だけを受け、冷酷なフセイン体制はそのまま居座り続ける結果となった。アメリカにとってはこのことが心残りなのだろう。現在のブッシュ政権は当時の人脈をそのまま引き継いでいるので、「やり残した仕事をしている」という考えなのであろう。
 また、終戦後の協定に違反したり査察を拒否するなどの行動も、イラク攻撃を決意させる大きな要因となっているのだろう。本当は査察拒否の時点で全世界が真剣に対応すべきだったのだ。
 フセインはクウェート侵攻以前にも反対勢力に対し大虐殺を加えている。自国民を平気で犠牲にし、それを政治に利用する狡猾さまで持ち合わせている。巨悪の見逃しは、結局は独裁者を生き延びさせる土壌を作ってしまっていたといえよう。独裁国家に対しては経済封鎖の制裁は全く効き目がないし、権力者より国民を苦しめる方法に過ぎない。

 ただ、巨悪を咎めるにもタイミングと方法は熟慮を要する。査察拒否や虐殺・侵略等があった時でなければ行動は起こせないはずだ。また、性急な行動は今後に遺恨を残すだろう。
 それに元をただせばイラクをあれほどの独裁国家にしたのは、アメリカによるイラン封じ込め戦争の結果である。アメリカの介入によって大量の武器がイラクに持ち込まれ、戦後処理を怠ったためにクウェート侵攻を許した。余った武器を買い取らなかったアメリカの怠慢が原因である。事情は違うがこれはタリバンやベトコンも同様である。アメリカの都合で莫大な軍事援助を受け、都合が済むと見捨てられる。こうした非情な仕打ちが様々に影響を与えて、結果として反発やテロ等を招いてしまうのだ。そして牙を向くとアメリカは即座に叩き潰しにかかる。

 今回は再びフセインを潰しにかかるが、さすがにこの戦争には説得力がない。説得力があれば戦争をして良いわけではないが、今後、平和な世界を再編する為のコンセンサスを得ることは難しくなるだろう。査察受け入れも無意味にしてしまった。国際ルールにのっとって解決をはかるという原則も破られた。単にアメリカの考え次第で攻撃を受けるのだとしたら、実質上、世界はアメリカの支配下に入ることになる。こんな状況を許すほど各国は腑抜けではない(一部を除いて)。
 また、中立さえ拒絶する姿勢は、当然のごとく排除される国を生む。まるで世界中がアメリカ的価値観を持たなければ我慢できない、とでも言っているようである。これは今日のアメリカ政府の本音なのだろうが、あまりにもストレートに「アメリカのアメリカによるアメリカのための戦争」という図式を示してしまい、誰も本気では賛同できなくなってしまった。無神経な外交姿勢の結果であろう。

 こうした単純な正義感の押し付けと、自らの都合をキリスト教的使命感にすり替えたブッシュの信仰心には閉口するが、さらに、この大統領を介して「アメリカ文明そのものにも巨悪が宿っている」ということに私たちは気付く必要があろう。
 強者による富の独占を神の名のもとに許すアメリカ文明は、民衆の歴史からいえば常に打倒されるべき体制であるが、繁栄を長く支えてきたのが国際社会の信頼と民主的選挙である。この二つがなくなれば、アメリカ文明は傲慢な帝国主義に過ぎなくなってしまう。ブッシュ政権になってからは、この欠点を隠そうともせず、自らの思い込みの信念にのみ従い、国際協調を無視し、他国の声を聞く努力を怠ってきてしまった。
 それにブッシュは、厳密にいえば選挙では選ばれていない大統領(票の最終集計結果は落選)である。その未承認の大統領に従い、世界最大の軍事力が火を噴く。自由競争の名のもと、強者優先の競争が野放しになると、このようないびつな結果を生む。アメリカ文明には重大な欠陥があると見てよい。ブッシュはある意味その象徴的な存在だろう。

 今後もしばらくはアメリカの経済的・軍事的一極集中は続くと見られているが、世界の人々がそれを望むか望まないかが近未来のアメリカの立場を示すものとなる。ブッシュ政権は、冷戦後の国際協調路線によって、自国の圧倒的実力が現実に発揮できないことをもどかしく思っているのかも知れない。しかし、このもどかしさこそがアメリカの繁栄を長らえるシステムであることにそろそろ気づくべきであろう。

 日本の選択

 外交下手を武力で補うような政権に、世界の富と権力(兵力)の大半が渡ってしまった現状は嘆かわしいが、それに従わざるを得ない日本の立場も屈辱的である。この点は小泉首相に批判が集中しているが、首相ひとりの責任ではあるまい。日本の立場と近代の歴史がこのような屈辱的態度を導いたのである。
 もちろん首相が説明責任を果たしていないことは事実だが、今の首相には、現実をふまえて進むべき未来を示すような力は既に無い。その場の雰囲気に流されていく、という態度を語ったのみである。これはもっと言えば、<事前には何も考えていないが、ただアメリカのご機嫌を損ねないように努力する>ということを図らずも示した発言だったが、このような首相を喜んで選んだのは他ならぬ日本国民であったことは忘れてはならないだろう。

 対してフランスは戦争反対を貫き、各国の喝采をあびた。最後まで平和を望み活動した、という賛辞も与えられている。しかし、イラクに原子力施設を与えたのはどこの国だったのか。世界有数の産油国なのに電力が不足していた訳でもあるまい。核武装が目的だったことは誰の目にも明らかで、フランスはフセインの凶悪化に手を貸してきた張本人とも言える。
 また、彼等の活動が平和的解決の最後の切り札を捨てさせた、ということはあまり語られていない。ブッシュもフセインも、単純な正義を振りかざして進み続ける中、他国が「ともに引ける道」を示すべきであったのに、用意しなかったどころか、隙間を閉ざす活動をしていたのである。イラクが査察を受け入れ、大量破壊兵器を少しづつでも廃棄し始めた時、イラクの側にのみ加担して戦争反対の輪を広げてしまったことが問題だったのだ。ここで真剣に戦争回避を画策するのなら、ブッシュの圧力も評価し、これを平和への努力として一定の評価を与えておけば、長期の査察も、後に兵を引く口実もできたはずである。もちろん、ブッシュは最初から兵を引くつもりなど無かった、とも言えるが、万に一つの可能性があったとしたら、ここにかけるしか方法は無かったのではないか。

 ところがフランスは逃げ道を用意せず、アメリカの好戦的な態度を徹底的に批判したため、逆に引くに引けない状況になってしまったのだ。当初は引くつもりが無くても、周りの評価によって変化せざるを得ない状況は有りえただろう。ところが国際的にアメリカを孤立させ、逆に戦争をする以外に道をなくしてしまったのだ。もしこれが策略とすれば、アメリカはフランスの外交戦術に落ちたとも言えるだろう。
 ブッシュ政権になってから各国の外交関係者はメンツを潰されて続けているから、アメリカには花道を飾らせる気持ちなど無かったのかも知れない。誰にでもメンツがあり、為政者は特にメンツにこだわる。そんな中、果てしないメンツ子の潰しあいが今回の戦争を招いてしまったのだ。

 日本の立場としてでき得た平和的解決方法は、以上の通り「ともに引ける道」を堂々と示すことであっただろう。既にメンツを無くし続けている日本の政治家ならば、これを示し得たかも知れないのに、残念である。これは今後の外交手段として活用してもらいたいが、とにかくアメリカより先回りして考え行動すべきである。これによって日本の存在感を増しておくことが必要なのだ。「他国がその存在を認め喜んで受け入れる国こそが、平和を長く維持できる国である」ということを、日本政府はしっかりと認識しなければならない。ブッシュ政権はイラク攻撃を最後の戦争にするつもりだ、などとはとても思えないからである。

 仏教徒と教団の姿勢

「今回の戦争に関して、浄土真宗として何かコメントを出すべきだ」との声をよく聞く。メールでもそうした意見が寄せられているが、本来仏教教団は政治的発言には慎重であらねばならないと思う。また、教団のコメントに過大な期待をするのは、その成り立ちに背く姿勢といえるだろう。
 もちろん、いずれ教団から何らかのコメントは発表されるとは思うが(註: 既に、3月19日に [イラクに対する武力行使の即時中止と平和的解決を求める声明]、3月20日に [イラクに対する武力行使に対する抗議と、その即時中止を求める声明] が出されていた)あまり具体的に踏み込んだ内容にはならないだろう。なぜなら、仏教教団は自律的に生きる人間を育てる組織なのである。戦争についても、様々な情報を得て、自らの意見を持ち行動する、ということが本来であり、教団の見解に無条件に従うような人間を育てる組織ではない。物事に対する批判力を高めておくことが仏教者の基本姿勢だからだ。ちなみにこの文章も私個人の意見であり、教団の意向に従ったものではない。ただ常々念仏に育てていただいている私が、戦争について意見を述べているだけである。

 ところで、戦争の問題が語られる時、よく引用されるのが「兵戈無用」という経典の言葉である。

仏の遊履したまふところの国邑・丘聚、化を蒙らざるはなし。天下和順し日月清明なり。風雨時をもつてし、災レイ起らず、国豊かに民安くして兵戈用ゐることなし。〔人民〕徳を崇め仁を興し、つとめて礼譲を修す」と。

『仏説無量寿経』 巻下 正宗分 釈迦指勧 五善五悪

意訳▼(現代語版 より)
 仏が歩み行かれるところは、国も町も村も、その教えに導かれないところはない。そのため世の中は平和に治まり、太陽も月も明るく輝き、風もほどよく吹き、雨もよい時に降り、災害や疫病などもおこらず、国は豊かになり、民衆は平穏に暮し、武器をとって争うこともなくなる。人々は徳を尊び、思いやりの心を持ち、あつく礼儀を重んじ、互いに譲りあうのである

 仏教教団は釈尊の姿勢に学んで、政治に直接口を出すことは控えるが、教えの功徳によって世の中は自ずと平和を保ち、国は豊かになり、武器は必要なくなる、という世界を目指す。こうした人材を育て、平和な環境をつくることが責務であり、さらに権力者にはあるべき世界を示して、権力の乱用を防ぐ教えともなっている。

 また、親鸞聖人は性信御坊に宛てた手紙の中で「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と述べてみえる。

詮じ候ふところは、御身にかぎらず念仏申さんひとびとは、わが御身の料はおぼしめさずとも、朝家の御ため国民のために念仏を申しあはせたまひ候はば、めでたう候ふべし。往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏候ふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。よくよく御案候ふべし。

『親鸞聖人御消息』(25)

▼意訳 (日本の名著6/中央公論社 より)
詮ずるところ、あなたに限らず、念仏しようとする人々はご自分の浄土に生まれるためをお思いになることはなくても、天皇のおんため、国民のためにおたがいに念仏を申しあわせられるなら、結構なことでありましょう。浄土に生まれることをおぼつかなく思われる人は、まずわが身の浄土に生まれうることをお考えになって、お念仏なさってください。かならず浄土に生まれることができると確信する人は、仏のご恩を思われるにつけても、ご報恩のために、お念仏を心にいれて称え、世の中の穏やかであるよう、仏のみ教えのひろまるように、とお考えにならなくてはならないと思われます。よくよくご思案になってください。

 念仏の心は、あらゆるいのちを尊び、誰をも排除しない世界を作ることにある。そしていのちを差別し侮蔑する心を懺悔し、ともに敬いあい育ちあう環境を育てることが自ずと念仏者の歩む道となって成就してゆく。「世のなか安穏なれ」の願いは「仏法ひろまれ」という願いとともに適うのだろう。

 以前、普元寺副住職の西脇真氏が中日新聞の「ともしび」欄に、[相手を滅ぼす道は自分も滅ぶ道] という一文を投稿されたことがあったが、その中で、阿修羅が元は正義の神だったこと、そしてそうした善魔は悪魔より怖い、ということが指摘されている。
 誰に正義があるかを裁きの目で見るのではなく、正義を振りかざすこと自体が平和を乱す元凶であることを知るべきだろう。それが正しい法であり、正しい法の広まりなしには、恒久の平和は訪れない。

 現代社会は、資本力と軍事力が中心になって動いている。つまり世界の中心軸が「強者の果てしない欲望」に置かれているのである。ここからさらに多くの富も生まれるが、幸せが生まれるとは限らない。犠牲者も当然うむ。

 本当は世界の中心軸を、人々の「人間的成長」と「和」に置くことを目指すべきで、究極的に言えば、平和は今の価値観そのものを根本から変革したところに存在するのではないだろうか。

[Shinsui]

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 なおこのページの内容は、以前 [YBA_Tokai](※現在は閉鎖)に掲載していた文章を、自坊の当サイトにアップし直したものです。

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