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【平成モニター】

平成17年9月8日

将棋的視点と囲碁的視点

時期や状況に応じて使い分けが必要

 「一点突破」と「全体のつながり」

 盤を用いる点では同じだが、将棋と囲碁では視点に違いがある、ということを聞く。詳細は略し単純化して言えば、将棋は「一点突破で大将を打ち砕く有事の発想」、比べて囲碁は「一点に執われず全体のつながりを大切にする平時の発想」ということだ。
 将棋的視点を象徴するのは、例えば桶狭間の戦い。織田軍が今川軍を奇襲した際、今川義元の首ひとつ刎ねただけで織田軍は勝利となった。今川軍は、いくら兵が多く残っていても、大将が居なければ戦闘的には烏合の衆と化すのだ。現実にこうした将棋的世界(もしくはチェス的世界)が存在している。
 しかし平和な時代には、どちらかというと囲碁的な視点が重要となる。石一つ、それだけでは意味をなさない。他の石とつながってこそ個々の石が生きる。また盤面全体で場を豊かにするように打つわけで、小さな局面に執われていては広がりがもてない。これは例えば、国全体や世界全体で、様々な機関をどのように有機的につなげ持続可能な豊かさを獲得していくか、ということを考える場合には有効だろう。

 将棋的視点と囲碁的視点、どちらの思考も大事だが、時期や状況に応じて使い分けが必要なことは言うまでもない。かつて僧侶には将棋より囲碁がよくたしなまれたのは、僧侶は戦いには参加せず、国や地域社会のつながり(縁)を大事にしたことによるのだろう。私の尊敬する師も碁の達人だったと聞くし、これは多くの王も同じであったと聞く。

 さて、いよいよ明々後日9月11日は衆議院選挙の日。どの党を、そしてどの人物を選べばそうした囲碁的発想で国や世界を豊かにできるのだろうか。見極めは難しそうだが、有権者は最後の最後までそのことを問い、考え続けなければならないだろう。

どんなことも 7世代先まで考えて 決めなければならない。

《イロコイ族の格言》

[Shinsui]

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