[index]    [top]

【映画・書籍等の紹介、評論】

山の郵便配達

中国映画なのになぜか懐かしい香り

原題:那山 那人 那狗(あの山、あの人、あの犬)


 映画は、どの役・どの立場で見るかによって印象が変ってくるものであるが、この『山の郵便配達』はどの立場に立っても少しコソバユイ感じがし、またシナリオもこれといった特別な工夫がある訳でもない。しかし何故か心に染み入る不思議な作品である。

◆ 淡々と進むストーリー

 1980年代初頭といえば、日本は「いずれアメリカを抜くだろう」と言われる程経済は順調で過剰な自信を得ていた時たが、中国でも経済特別区など競争原理を取り入れた新たな経済の動きが稼動し始めていた頃である。ところがここ中国・湖南省西部の山間地帯では、交通手段がほとんどなく、点在する少数民族の山村への郵便は人間が足で運んで届けていた。

 年老いた郵便配達人(トン・ルゥジュン)は、その長年の仕事を1人息子(リィウ・イェ)に引き継ぐことになった。足を患い、郵便局長から退職を勧められていたからである。その父が机に積まれた郵便物の山を仕分けし整理袋に入れる。これが結構な量で、人一人分の重さはあるかと思われる程だ。しかも、その行程たるや――

「40キロ歩くと天車峰、それから望風坑、次の九半竜で1泊、翌朝は寒婆幼へ、揺掌山を越え大月嶺まで40キロ。3日目は一気に山を下りまた40キロ歩く」

 それを聞いて息子は思わず「げっ、そんな長い距離、こんな重い荷物を背負って歩けるかー!」などと言ってたらこの映画は成りたたない。それどころか「急げば2日間で済ませられない?」などと強がり(?)を言い、辛い仕事を引き受け、「郵便配達は公務員だ、普通の仕事よりいい。幹部にだってなれる」と理由を説明する。

 そして“次男坊”と名づけられた愛犬とともに、2泊3日の旅に出ることになるのだが、父はその犬の意図を感じとり、旅に同行することになる。

 道中、「人とすれ違う時は右側に寄るんだ」「近道をしようとして冷たい川を渡らんように」等、一々説明をし、ラジオに合わせて歌うと「仕事中だ。歌など歌えん」などと言う父親に反発していた息子だったが、多くの人たち、特に時代に取り残された人たちと出あっていく中で、郵便配達が単に手紙を運ぶだけでなく、人と人、心と心をつなぐ大切な仕事であることを感じ取っていく。そしてそれは、自分の家族の歴史や結びつきを再確認していく旅でもあった。

◆ 瑞々しい風景

 先に「シナリオもこれといった特別な工夫がある訳でもない」と書いたが、物語の導入部を観た時点で<大体こんな風な映画かなー>と思っていると、正にその通りの映画なのである。ここまで先が読めてしまう映画も珍しいが、その安定した行程の上に、前近代的な親子の葛藤や人情が小細工なく堂々と織り込まれている。

 また、目の見えないお婆さんに、何も書かれていない白紙の手紙を読んで聞かせたり、父親を背負って冷たい川を渡ったり、親の苦労していた様子を行く先々の人たちから聞いたり・・・一つ間違うとアナクロな、単に古臭い人情話になりがちだが、それを補ってむしろ新鮮にさえ見えるのは、何と言っても山村の瑞々しい風景のおかげであろう。この景色の中では、どんな通俗的な仕掛けも自然に思え、どんな古びた優しさも極上の詩で綴られることになる。

 蛇足ながら、もしこの映画を日本で作ったら、「郵政三事業民営化反対の映画か?」などとも取れるが、そうした政治臭い話ではもちろんない。また、1時間33分という時間が良い意味で長く感じ、改めて作品の密度を認識させられる。

 それにしても、これは中国の風景なのに懐かしい香りがするのは何故だろう。もしかして、人はどこか心の片隅に《ふるさと》というイメージを持っていて、それに限りなく近いのがこの映画の風景なのだろうか。

公開:
1999年
監督:
フォ・ジェンチイ
製作:
カン・ジェンミン、ハン・サンピン
脚本:
ス・ウ
撮影:
ジャオ・レイ
音楽:
ソォン・ジュン
出演:
トン・ルゥジュン、リィウ・イェ、ジャオ・シィウリ、ゴォン・イエハン、チェン・ハオ 他
[Shinsui]


[index]    [top]

 当ホームページはリンクフリーであり、他サイトや論文等で引用・利用されることは一向に差し支えありませんが、当方からの転載であることは明記して下さい。
 なおこのページの内容は、以前 [YBA_Tokai](※現在は閉鎖)に掲載していた文章を、自坊の当サイトにアップし直したものです。
浄土の風だより(浄風山吹上寺 広報サイト)