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【本・映画等の紹介、評論】

砦なき者

野沢尚 著/講談社

 マリスはさらに破壊力を増して一人格に降臨した

『砦なき者』は、1997年の話題作『破線のマリス』の続編である。前作は、映像編集者の無意識に宿るマリス(悪意)が自他を破滅に導く物語だったが、この作品は、マリスが八尋樹一郎という一人格を得、テレビの表舞台に登場し扇動者となっていく物語になっている。無意識から意識的に、テレビ映像の持つ破壊力が一個人に握られた時、対抗する手段の乏しさに社会の危うさを見る思いがする。
 両作品に共通するのは、物事を正邪善悪で断定してしまった時の個人や大衆のブレーキの効かなさ、そして映像編集によって与えられた悪意は人間の判断を狂わせてしまうということだろう。

 実はこれは現代日本に限ったことではない。世界中、映像のほとんどは誰かの恣意的な編集を経て世に送り出される。これはフィクションはもちろん、ノンフィクションも同様である。むしろノンフィクションの方が、映像そのものは事実として素通りで認識されるので、編集の意図がストレートに受け手に伝わってしまう可能性が高い。特に戦争の映像など、政治的意図がからめば、視聴者は深層にその意図どおりの反応をため込んでしまうだろう。

 八尋樹一郎は、そうしたテレビ事情を逆手に取り、自らを報道被害者に仕立て上げ、カリスマとしての力を得てゆく。告発され砦を失ったニュースキャスター長坂文雄は、嘘に固めた八尋の過去を知り反撃に出る。ともに砦を失った経験を持つ者たちの、常軌を逸した行動。しかしそれは、真実を知りたいという人間の本能が仕掛けた必然の闘いだったのかも知れない。

 それにしても、あらためて野沢尚氏の筆力の凄さを感じる作品である。もし彼が急逝していなければ、新たに浮上したインターネットと既存メディアの闘いというテーマを得て、さらに首都テレビ局の物語は続いたのに、と残念に思うのは私だけではないだろう。

[Shinsui]


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