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【本・映画等の紹介、評論】
平成11年4月19日初掲載

新解さんの謎

赤瀬川原平/文藝春秋


 国語辞典というのは、大抵の場合、漢字の読みや意味が分からない時だけ使用し、記述されている内容を味わったり、深読みすることなどないだろう。だいたい、「辞書を引く」とは言っても「辞書を読む」などとは言わない。内容は公平無私で、一般的な常識の上に、最大公約数の内容が書かれている――と、皆そう思い込んでいるし、実際大抵の辞書はその線で記述がなされている。

 しかし、である。「どうもこの《新明解国語辞典≫は違うぞ!」と、この書は述べているのだ。

 深夜にSM嬢からの電話

 経験ある人が中にはいるかも・・・いや、大抵の人は経験がある・・・いやいや、絶対みんな経験があるはずだ、“あの恥ずかしい言葉は辞書でどう表現されているのか?”という興味を持ち、周りに人がいない事を確認して辞書を引いたことが。そして・・・めくるめく闇の世界に日本語の常識の光が射し込んだ感動! 絶対に○○本や△△ビデオでは味わえない至福の味わい。その微妙な世界に足を深く踏み入れたのがこの本である。

 少し悪乗りしすぎてしまったが、この本は著者の家に深夜SM嬢 (S.Mはイニシャル)から電話がかってきたところから話が始まる。
『三省堂・新明解国語辞典』の【恋愛】の項を見てみて、ということで引くと、

れんあい【恋愛】−する 特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。「―結婚」D・―関係」

このように出ている (第5版はもっと生々しい) のだ。
 夜中の電話という不信感もふっとび、著者は次第にSM嬢の意図を理解し、【合体】 【性交】と次々辞書を引きまくる。

せいこう【性交】−する 成熟した男女が時を置いて合体する本能的行為。

 この「時を置いて」というリアリズム (これも第5版の方が詳しい) に感動した著者は、さらに【馬鹿】を「公の席で使うと刺激が強すぎる」「― ― =女性語で、相手に甘える時の言い方」、【火炎】の項で「 ― 瓶」の詳しすぎる説明など、「これは尋常な辞書じゃない」と、その謎の解明に乗り出す。

 辞書の特徴

 様々な面白い引用を経て、この辞書の特徴を以下のように分析する。

 そのうち、この辞書に人間的な臭いを嗅ぎ取ると、「新解さん」をひとつのキャラクターとしてとらえ、その謎に迫っていく。すると、

など、興味が尽きない。ちなみに【共著】を引いてみると、「二人以上の共同の著述。大家が名前を貸して新進に著述をさせる場合にも言う」となっているところをみると、新解さんは相当根に持っているらしい。これは、この辞書自体もそういう共著状態である、と暗に言いたいのではないか、とつい深読みしてしまう。

 『悪魔の辞典』との共通点と相違点

 社会に対するシニカルな目をもった辞書として、最も有名なのが、A.ビアスの『悪魔の辞典』。ただこちらは辞書としての機能は度外視し、社会批判が優先しているため、“辞書のパロディー”として読んだ方が当たっている。例えば――

【不条理】 自分自身の意見とは明らかに相容れない所説ないし信条。
【称賛】 他人が自分自身に似ているのを礼儀正しく認めること。
【謝罪する】 いずれ無礼を働く日にそなえて下地をつくる。
【陰口をきく】 相手から見られる可能性のないとき、そいつについて見たままを話す。
【大砲】 国境線を引き直すのに用いられる道具。
【祝賀】 妬みの礼儀。
【忠誠】 まさに裏切られんとする人々に特有の美徳。
【友のない】 人に与える恩恵を持たない。財産のない。真実と常識をあまり口にしすぎる。
【習慣】 自由を束縛する手錠。
【幸福】 他人の不幸を見ているうちに沸き起こる快い気分。
【親切】 十巻から成る過酷な取り立てにたいする短い前置き。
【拝金】 世界第一の宗教の神。その第一の神殿は聖都ニューヨーク。
【警察】 騒ぎを防いだり、騒ぎに加わったりする軍隊。
【祈る】 取るに足らないことが明々白々なたった一人の嘆願者のために、宇宙の全法則を廃棄してくれるように頼む
【決然とした】 われわれが容認する方向で頑固な。
【活字】 文明開化を破壊してしまうのではないかと疑惑を持たれている有害な金属のかけら。とはいっても、この類まれな辞書では明らかにりっぱな働きをしているのである。

 これでは意味がはっきりし過ぎて、辞書としての機能を果たさない。そういう意味では『新明解国語辞典』くらいが、ぎりぎりの明解さなのだろう。それでも「よくぞここまで」という表現がこの国語辞典には出てくる。

【祈る】 〔自分の力ではどうしようもない時に〕神仏の力にすがって、よい事が起こるように、願う。〔自分の身の上にはよい事が、他人には悪い事が起こることを欲したのが原義〕・・・
【幸福】 現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持ちを起こさないこと。またその状態。
【読書】 ・・・寝ころがって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは、勝義の読書には含まれない
【嬉しい】 ・・・あいつもだめだったかと思うと、嬉しくなっちゃう・・・
【こそこそ】 ・・・運動会や遠足を欠席して ― 勉強し、試験のとき一点でも多くとりたいという浅ましさ
【一気】 【−に】・・・「従来の辞典ではどしてもピッタリの訳語を見つけられなかった難解な語も、この辞典で ― 解決」・・・・

 最後の【一気に】は第5版では「社長の辞任でさすがの難問も ― 解決」となっているが、4版までの自信は『悪魔の辞典』に勝るとも劣らない。
 また本でも指摘されているが、【ぼさっと】の例文で「駅から花屋に出る四つ角には交番があるのだが、管内の出来事には鈍感な警官が ― 立っているだけであった」とあり、日米の警察の体質の違いがよく表れている。

 辞書側の動き

 さて、ここで「面白い情報」と「残念な情報」がある。
 面白い情報としては、第5版の『新明解国語辞典』の序で、

 近年、本辞書の個性豊かな内容が一部の識者に注目され、新聞・雑誌などマスコミで取り上げられるようになった。学習辞書の枠をはずして、教養書として「辞書を読む」新しい層をつかみ、その層も厚くしつつある。

という箇所である。
 これはおそらく『新解さんの謎』について触れていると思われる。辞書側もこの本には“ 我が意を得たり ”だったのであろう。
 そして残念な情報は、そのすぐ次の行にあった。

 本辞書が個性的であると言われる、その個性は、主幹 山田忠雄の資質から生れたものである。その主幹をわれわれは昨年(一九九六年)二月に失ってしまった。船頭がいなくなった舟の中にとり残されたわれわれは、どうすべきか茫然とした。

 辞書の序文を読んで衝撃を受けることがあろうとは、私も想像がつかなかった。そうすると第5版の『新明解国語辞典』は、おそらく人間くさい辞書の最後を飾る書として人々の心に明記されることだろう。

 辞書全般に対する提言

 ひとつの文明、文化を語る時、その中央にあるのが『言葉』と『建築』である。この二つは人間の人間としての活動、生活の地盤であり、全ての文化の源でもある。中でも言葉が重要であることは、言葉を尽くしても表せない。

 その重要な「言葉」というものは、辞書によって社会全般に大きく影響を与えるのだが、私が思うに、日本語の辞書は「まだまだ量質ともに足りない」と思う。今回引いた『新明解国語辞典』は、一般の辞書としては充分なのだが、あくまで学習用である。日本語について“ 本格的 ”とか“ 決定版 ”と言えるような辞書は、実は皆無である。特に引用文の貧弱さは嘆かわしい。この点は是非英語の辞書を見習って、今は本もROM化できる時代なのだから、日本文化全般を網羅する辞書が早く誕生してほしいと、私は切に願っている。

[Shinsui]


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