夜11時過ぎ。家族の異変を知らされ、急遽修学旅行先の旅館から帰された小学生の秋葉奏子。彼女は付き添う担任教師の様子を鋭い観察眼で追い、異変は事故ではなく事件であることを見抜き、さらに家族全員の死を確信してゆく……
読者さえトラウマに陥りそうな緊迫の4時間の描写と、事件を取り巻く様々な人間模様で衝撃的な印象を残した『深紅』の原作。これをいかに映像化するのか心配が先立ったが、まずは及第点だろう。役者たちの演技も総じて高水準で、特に主役の内山理名と都築未歩役の水川あさみは見事だった。また緒形直人にいたっては、犯人役が余りに板についていて「演技……のはずだけど」と少し心配させられる程だ。
映画は原作の構造をほぼ忠実に映像化する。
惨殺事件で生き残ったことに罪悪感さえ覚えている秋葉奏子。親の残した罪を引き継がねばならないと思い込む殺人班の娘都築未歩。出遭ってはいけない二人が出遭い、互いの心に刻まれた深い傷が新たな殺意を催させ、現実に殺人を仕掛けてゆくことになる。
ただし、一つだけ原作と大きく違う箇所がある。それは都築未歩の最後のシーンだ。これによって、映画を見終わった観客の頭の中で、新たに深紅の血潮が駆け巡ることになる。
これは密かなどんでん返し。シナリオの意味が見事に逆転している。つまり、『深紅』全体を貫いている主軸が、原作では秋葉奏子の加虐的な暴走に置かれていたのだが、映画では都築未歩の敷いた贖罪のレールにとって代わることになる。そしてここを主軸とすることで、ストーリーはより良く締まり、原作唯一の欠点だった後半の曖昧さが解消されてゆく。
そういう意味では、ある種原作を超えたストーリーとも言えるだろう。しかし担任教師が男性から女性に変わったことはどうしても解せない。これによって少女の抱える不安感が薄れてしまったのではないだろうか。タクシーの後部座席に、<誠意はあるが不器用な男性教師>と同席するのと、<優しい配慮を見せる女性教師>と同席するのでは、子どもが抱える不安感に違いが出るはずだ。
偶然性を極力排除したシナリオがモットーの野沢氏だけに、インパクトを減らしてでも表現したい何かがこの変化にあったのだろうか。
聞けぬ事情が悔しい。