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萩野千尋は10歳の女の子。それまで居た都会から田舎に引っ越すことが嫌で仕方が無い。初めてもらった花束がお別れの花束であることも嫌でふて腐れていた。
道中、一家は道を間違てしまい不思議な世界に迷い込んでしまう。そこは湯婆婆[ゆばーば]という魔女が支配する世界。両親は勝手に食べ物を食べたために豚に変えられ、千尋自身も元の世界に戻れなくなってしまった。ここでは働かない者は消滅するか家畜になってしまうのだ。
<昔から千尋を知っていた>というハクや、リンという先輩に助けられ、湯屋で働き場を確保した千尋だが、そのかわり名前を千[セン]に変えられてしまう。ここは全国の神々が疲れを癒しにやってくる温泉宿。懸命に働く千尋だったが、ある雨の日、仮面を被ったシャイな男「カオナシ」を引き入れたことから宿は大騒動。金と引き換えに皆を飲み込んでしまったのだ。
また、湯婆婆の双子の姉である銭婆[ぜにーば]から印鑑を盗んだハクは、帰還途中、傷ついて死にかける上湯婆婆から見捨てられてしまう。千尋は全てを解決するため、「カオナシ」と「湯バード」と湯婆婆のわがままな息子「坊」を連れ、電車に乗って銭婆のところに出かけるのだが・・・
この映画でまず印象に残るのは、言葉の重要性である。「いやだ」「帰りたい」と言うことは自らの消滅を招く。この点について監督は「言葉は力であることは、今も真実である。力のない空虚な言葉が、無意味にあふれているだけなのだ」と言っているが、この指摘は傾聴に値する。千尋が先輩のリンに、「世話になったんだろ。お礼を言いな」と言われ、次第にしつけのようなものを教わる。映画の前半はまるで「丁稚奉公の異世界版」といった体裁になっている。
また登場人物(?)の中で最も印象的なのは「カオナシ」である。これは現代人の――<自分が確立できず、わがままで他人との意思疎通もできなくて、何でも金で解決しようとする>という一側面がリアルに現れている。ある意味、どんな化け物よりも悲しく化けてしまった奴かも知れない。そしてカオナシは千尋に「何がほしいんだ」と尋ねるが、「私がほしいものは、あなたにはぜったい出せない」とたしなめられてしまう。何とまあ悲しい存在であろう。
しかし「こんな男が、近所にもいるかも知れないな」と思っていると、案外自分の中にも住んでいたりするのだ。
人はきっかけさえあれば、千尋のように生きる力が沸いてくるものなのだろう。そうした人間のたくましさとともに「河の主」や「オオトリ」など異世界の住民の優雅な物腰も見もの。またこの作品には「ススワタリ」が出てくるし、「おしらさま」とのからみも『となりのトトロ』を彷彿とさせる。
ところで宮崎駿監督は、「長編アニメはもうやらない」と引退宣言をしているようだが、前回の『もののけ姫』でも言ってなかったっけ? すると監督自ら「力のない空虚な言葉」を発し続けていることになる。これでは自家撞着ではないだろうか。
また、観客サイドとしては「もっと作ってもらいたい」という気持ちもあるが、<ポスト宮崎>として次世代のリーダーも、もっと育ってきてほしいところである。