「この映像を見た者は一週間後のこの時間に死ぬ運命にある。死にたくなかったら今から言うことを実行せよ。すなわち・・・」という、呪いのかかったビデオを見てしまったとしよう。
あなたならどうするか?
現実にはそんな呪いが効果を発揮するとは思えないのだが、小説や映画では回避の行動を取らねば死ぬ事になっている。
『リング』と名付けられた小説は、続編『らせん』『ループ』『バースディ』と世界観を広げながら物語を発展させ、映画では小説の続編とは別の物語として『リング2』が公開。テレビ版でも何度もバージョンを変えて放映されている。ここでは混乱を避ける為オリジナルの小説をもとに私論を展開したい。
◆ リング世界の拡大
まず、『リング』から『バースディ』へのつながりだが、『リング』が山村貞子の呪いを中心にした「ホラー話」なのに対し、『らせん』では呪い殺された人間の解剖シーンも含め、“遺伝子の突然変異の秘密を解く”という医学的「ほら話」に変貌する。そして『ループ』に至っては“今までの事は全部スーパーコンピューターの内部の話だもんねー”という「大ぼら話」に落ちが付いて、お後の『バースディ』に受け継がれていく。
著者によると『リング』を書いた時に『らせん』以後の構想が既にあった訳でなく、いわば意味の「あとづけ」であった。そのため全体としての矛盾点は多々あり、『リング』で犠牲者が断末魔に感じた“背後に何かいる”という感覚は、「血管内に発生した腫瘍」では説明がつかない。
また増殖した山村貞子のコピーが、滅びの運命を素直に受け入れるとはとても思えない。何しろループ内では彼女(?)の力はとてつもなく強力、という設定になっているのだから、他の方法で増殖の機会を図る、というのが本当だろう。もしかしたら、そのへんの経緯を記した『続編』が、また出るのかも知れないが・・・
◆ 呪いについて
さて、この『リング』が人気を博す理由は、「呪い」という前近代的な情念が、「ビデオテープ」という日常的なアイテムに込められるところにある。しかし、現実の話で言えば、こうした「呪い」が効果を発揮するには、以下の二点が必要条件となってくる。
まず第一の条件は、呪いがかけられた人が「私は呪われている」と、はっきり認識させられる事である。
有名な「丑の刻参り」でも、必ず呪う相手の名を明記して五寸釘を打つ。【*皆さん真似しないでね】こうすれば誰かがその「呪い」の事実を見付け、噂になり、呪われた本人の耳にも届く。
大体、誰かに怨みを持たれている、と思うだけで気分は良くない。まして五寸釘で自分を模した人形が打ち付けられている、と知ったら正常な感覚ではいられない。呪いの事実は周りも知っている訳だし、それが毎晩続けられている【*くれぐれも皆さん真似しないでね】と知れば、ノイローゼになるには充分な原因だし、本当に「寿命が縮まる思い」であろう。
第二に、呪いの念に対し、「揺るぎ無い世界観」を相手が持っていない事が条件である。
科学万能も最近は多少揺らいできたが、それでも古代、中世の人々の方が、この呪いを恐れていたことは想像に難くない。実際、権力者は自分達の意向に従わない人々に対し密教的な呪いをかけ“地獄に落ちろ”と脅したもんだから、恐怖のあまり領民はめったなことで領主に刃向かう事は無かったといわれる。
民に呪いをかけるなんて仏教者にあるまじき事なのだが、その間違いが正されるのは、「無量のいのちと光明をそなえた如来の救い」が明示されてからであった。
悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆえにという歎異抄の文があるが、圧倒的な救いのパワーを知った民衆は、やがて権力者の呪いや脅しにひるむ事無く、悪政に公然と反逆していくこととなった。「百姓一揆」ともいうが、これは「一向一揆」という“仏の救い”に裏打ちされた反逆である。
ええい、しゃあない。もしテレビから貞子さんが出てきたら、俺んとこの寺へ連れてこい。
一杯やりながら、仏様と一緒に恨み言を聞いてやっからさ。