平成アーカイブス |
[製作・監督:スパイク・リー/原作:アレックス・ヘイリー/出演:デンゼル・ワシントン 他]
人種差別に対する黒人解放のリーダーというと、キング牧師やマンデラ大統領が思い浮かぶが、ある時期、アメリカでそれ以上に注目を集めた人物がいた。
ブラック・モスリム教団は、白人に対し融和ではなく分離独立を宣言する。そのスポークスマンとして指導者イライジャ以上に注目を集めたのがマルコムXだった。
しかしその余りに過激な言動は他の黒人解放運動家からも非難され、彼の死後も評価は低く、歴史の闇に葬り去られようとしていたが、1992年に映画が公開されることによって、一気にブラック・カルチャーとしての注目を集める。
彼の言動は一見過激だが、「400年という長きにわたる犠牲」を考えれば、ある種的を得た発言と言えよう。そして実際、現実的な人種差別問題の解決として、彼の示した道を今アメリカは歩みつつあるのかも知れない、実に皮肉な意味で。
◆ あらすじ
彼等の白人たちに対する見解は実に厳しいが、それは映画の冒頭から示される。
兄弟姉妹よ 私とともに白人の罪を問おう!
白人はこの世で最大の殺人者だ。白人はこの世で最大の誘拐犯だ。白人は行く先々で平和と秩序を破壊し続け、その後には混乱が残った。その後には荒廃が残った。
この世で最大の誘拐犯たる大罪を問おう! 殺人者たる大罪を問おう! 盗人で奴隷商人たる大罪を問おう!奴らが我々に“一緒に国を築こう”と言ったか?
“ニガー 船底に下りろ” “アメリカを築く手伝いをしろ!”
アメリカで生まれてもアメリカ人ではない。君らは犠牲となった2200万の黒人の一人だ。どこに民主主義が? 我々が見たのは民主主義〔デモクラシー〕ではなく偽善〔ヒポクラシー〕だった。
“アメリカン・ドリーム”? 我々にはアメリカの悪夢だ!
マルコム・リトル(X)の生い立ちは初めから波乱に満ちている。
父は「黒人は黒人のルーツ、アフリカに戻ろう」と説いた牧師だったが、その言動に「迷惑している」と言うKKK団によって殺されてしまう。母親は白人からレイプされて生まれた混血で、そのため自分の体内の白人の血を憎み、とりわけ肌の黒い夫と結婚した。夫の死後「これは自殺だ」と断定され、保険金も出ず、母と子(9人)は無理やり引き離される。
マルコムは鑑別所からスウェリン夫人の里子へ出されたが、ニガーと呼ばれ、馬や犬のように扱われた。またマルコムはクラスで一番成績がいいのだが、「現実にはニガーは弁護士にはなれん」と先生は大工を勧める。「黒人にはぴったりの仕事だ。イエス様も大工だった」と。
やがて、列車の売り子からアーチーに気に入られ麻薬に手を染め堕落するマルコム。そのアーチーにも命を狙われるが逃れ、やがて強盗の頭になるが窃盗でつかまってしまう。
1946年2月、窃盗の初犯は懲役2年だが、むしろ白人と寝たことで裁かれ、チャールズタウン州刑務所で10年の重労働の刑が課せられた。
所内ではことごとくに反抗し、闇の独房に隔離されれしまう。キリスト教の神父にも「誰が友達だ。尻でもなめやがれ!」と反抗するマルコム。そんな彼に「薬の代用品だ」とナツメグをくれたのがブラック・モスリムに入っていたベインズで、「黒人だということに誇りを持て」と説得される。「人間の祖先である黒人の本性こそ善だ。白人の本性は悪だ」と。「白人のある者が悪魔なのではない。白人のすべてが悪魔だ」と。
そして「イライジャ・ムハマッドが君を闇から光を与える。心の牢獄から解放してくれる」と言われ、やがてイライジャを師と仰ぐようになる。
もともと頭の良いマルコムは6年間の獄中、猛烈に勉強し、所内でキリスト教神父とも論戦を闘わす。例えば「神(キリスト)は白人だ」という神父の発言に対し、「彼が生まれた地域の人間は肌が黒いはずだ。その証拠に、ヨハネの黙示録第1章第14節には『イエスの髪は羊毛状で足の色は真鍮色』と出ている。イエスは白人でない」と。
出所後イライジャ師に「息子よ」と迎えられたマルコムはマルコムXと名のり、精力的に教団の拡大に務め、その言動も激しさを増してゆく。
100年前はシーツをかぶった奴らが黒人を襲った。最近は白いシーツをやっと片付けて、シーツを警官の制服に替えて、我々に警察犬をけしかけるアンクル・トムと変らぬ指導者は「敵のために祈れ」と言う。「敵を愛し 敵に溶け込め」と
我々をリンチにかけ 我々を撃ち 女子供を犯す敵を?
許せるか。考える頭があれば許せないはずだ。
やがて教団スポークスマンとしての立場を得て、マスコミに対しても鋭い発言を繰り返し、多くの賛同者を集めたため組織は大発展を遂げる。しかし人気に対するやっかみからか、教団はマルコムに対して次第に冷淡になっていった。しかもイライジャや教団幹部らの金と色にまみれた私生活を目の当たりにし、マルコムは失望する。やがてケネディー大統領の死に「正義の裁きだ」との発言から口を封じられ、ついには教団から命まで狙われてしまう。
教団を離れたマルコムは、「今後はほかの指導者とも争わず、協力し合って問題の解決に当たりたい」と、ニューヨークに「モスリム・モスク」という組織を設立し、そこを拠点に活動を再開した。そして、「イスラム教を完全に理解したい」と、メッカを目指し巡礼の旅に出る。
旅の途中、人種を超えて人々が集まってきていることに驚き、「今後は特定の人種を告発することはせず、心して非難されるべき相手のみを相手として闘う。私が望むのは自由と正義と平等。それだけだ」という手紙を妻のベティーに送る。
帰国したマルコムはさっそく活動を始めるが、いよいよイライジャの組織からの脅迫は激しさを増す。家も放火され、ついに1965年2月21日(日)、オーデュボン・ボールルームにおいて演説中に射殺。その39年の鮮烈な生涯を閉じた――偉大なる「アフロ・アメリカン」として。
◆ 招かれざる存在
かつてアメリカは、映画『招かれざる客』のような、「白人の善意で人種差別を克服する」という図式を世界に示してきた。しかし図らずもそこには、「リベラルを自称する白人でさえ黒人を娘の結婚相手に認めるかどうかは悩む」というという本音が露呈された訳で、黒人の側からは、そのアンクル・トム的な受身の解決の限界を思い知ったに違いない。つまり「差別問題解決は被差別側に優先権がある」という視点が欠けていたのだろう。
肌の色へのこだわりは人間の闇を最大に表出してしまう。まして聖書を白人優位の裏付けに使っていた歴史は嘆かわしく、これは宗教の本質を失わせる誤解であろう。もしキリストが黙示録にある通りに黒人(少なくとも白人ではない)として表されていたら、果たして白人たちは彼を救世主として崇めていただろうか。おそらく白人の間では「神は白人」とする方が、自分たちの間では納得でき、布教にも適した姿だったのだろう。また人種を自分たちに有利にねじ曲げることは、布教が政治的な覇権に結びつき、植民地政策や奴隷制度の正統性を維持する力となったわけである。
それに対し、マルコムXの示した差別解決策は、だれもが理想とする融和ではなく、黒人による分離自立という、当時の白人にとっては受け入れ難い道だった。宗教的立場もキリスト教ではなくイスラム教。当然のように大反発があった。この映画でも直接の射殺命令はかつての師イライジャであったとしても、「背後で大勢が力を貸している」ことをにおわせている。
しかし、長年ずたずたに引き裂かれ、蔑まれてきた黒人と白人の間に抜き差し難い意識の壁が存在する以上、黒人の誇りを取り戻すことを最優先させた分離主義は、アメリカの歴史を見据えた上で現実の解決をもたらす一策であることは否めないだろう。そして「アフリカの兄弟たちとの連帯を固める事がこの国の黒人たちの力を強めます」という新たな策は、マルコムXが世界的・歴史的な広がりの中での解決を図って描き出したビジョンだった。
もちろん彼のビジョンが、どの地域・どの時代にも適応できるものではないことは当然である。テロ事件を誘発する危険性は自明の理であろう。
◆ 差別問題と浄土真宗
さて、日本語でも英語と同様「黒」と「白」は正反対の意味を持っている。しかしこの色の問題は、歴史を通じて問題とされたことはほとんど無かった。釈尊の肌の色も「金色」(釈尊と阿弥陀仏の関係 参照)と、真心の色として表現し、具体的な色が問題とされることは無かった。私たちは今まで、幸か不幸か身近に「肌の色の違いによる差別」を経験することは少なかったのだ。
しかし、今後はこの問題と相対していかなければならない社会になっていくだろう。そうした時、仏教界・宗教界の果たす役割は重要となってくる。
もちろん、そうした問題の解決に経典が重要な示唆を与えて下さることは言うまでもないが、本当に問われるのは私たちの姿勢である。
例えば親鸞聖人は中世の日本では本当に数少ない「現実に差別を克服しえた宗教者」であったことはよく知られている。また、権力者による民衆弾圧に対して、人々に「人間の尊厳に目覚める導き」と「同朋意識による融和策」を示した教団の業績にも一定の評価がある。
しかし、江戸時代以降の身分差別に対する姿勢や、戦前・戦中の人権を踏みにじるような教学の捻じ曲げは、「時代に合わせたため」とか「教団を守るため」という言い訳は全く通用しない。ここには人間を慈しむ仏教はないし、親鸞聖人のお心など、うかがい知ることは不可能であろう。これは「差別」と「虐殺行為」の次元の開きはあるものの、聖書の曲解に基づいて黒人虐殺を行なったKKK団が、宗教の本質を全く見失っていたのと類似した姿なのではなかったろうか。
また、マルコムXが最も反発していたのは、差別を露にしていた南部の白人より、心に差別心を抱きながら偽善に終始した北部の白人である事を思うと、教団の同和問題に対する姿勢が北部の偽善に終始していないか、という反省も促される。
そうした視点で今後の宗教のあり方を見つめる時、人の尊厳を踏みにじる行為に対して、勇気を持って、当たり前のように反対をとなえ、現実的な解決を図ることは、教学に一つの柱を与えることになると思われる。そしてその方向性は、部落差別問題だけに留まらず、より普遍的に人間の尊厳を現実に展開する核となっていくのではないだろうか。そしてそれを外しては宗教は全く存在価値を失うことも心せねばならないだろう。