イディ・アミンといえば、今ではアフリカにおける大虐殺者の代名詞ともなっているが、こうした血に飢えた独裁者≠ェどのような経緯で出来上がったのか、どうして世界はこのような虐殺者を後押しし続けたのか、その一端を垣間見させてくれるのが映画『ラストキング・オブ・スコットランド』だ。
この大統領に付き添い、イディ・アミンの内面と周囲の評価をナビゲートしてくれるのがニコラス・ギャリガン。彼は大統領と交流のあった欧米人数人のキャラクターを総合した人物≠ニいうことだが、単に個人的な交流という以上に、当時の欧米各国のアミンに対する心境や関わりも象徴していると言えよう。
それというのも、イディ・アミンには溢れるばかりの魅力があり、当時のウガンダ国民のヒーローであり、一たびマイクを握れば敵でさえ握手を求めてくる、という有様。天真爛漫さと行動力を兼ね備えていて、虐殺の歴史が明らかになった現在のウガンダでさえアミンを評価する声は絶えないという。全世界が彼に期待したのも無理はないだろう。
さて、そういう類稀なカリスマ性を備えた人物が、どのようにして血に飢えた独裁者になっていったのか。「ここには憎悪と敵意が入る部屋はない。我々の間には、ただ愛と友情があるだけだ」と言っていたアミンが、ウガンダを憎悪と敵意の国にした原因は何であったのか。
その答えの一つがこの映画の主演であり牽引者フォレスト・ウィテカーの演技の中にある。アミンの問題点を箇条書きにする事は今なら誰だってできる。しかしアミンと同様の魅力を兼ね備えた人間が演じなければ、アミンを過大評価した当時の民衆や欧米各国の混乱は想像できないだろう。まして側近たちが感じた底なしの恐怖と混乱は文字では伝え切れず、ウィテカーのような名優を通してのみ可能なのだ、とこの映画を観て感じた。
多くの主演男優賞を総なめにした評価は肯づける。そして最後まで圧迫感を与え続ける護衛の演技も見もの。総じて人間が良く描かれた 映画だ。