平成アーカイブス <旧コラムや本・映画の感想など>
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現代につながる歴史の闇にあえて光を当てる、という作品は、欧米では繰返し製作されているが、日本映画としてはめずらしいかも知れない。見終わった後、重く虚しい気分を味わわされるが、これを自虐的と見るのは当てはまらないだろう。闇の現実を直視することなく光を探すことはできないからだ。
印象的なのは、富田満州男が拉致に関わる必然性の無さと、金車雲[キム・チャウン]の切羽詰った取り組みの違いである。これは図らずも日韓の俳優、佐藤浩市とキム・ガプスの発散する存在感の違いに現れている。同じ日陰の存在ながらも、KCIAのメンバーが背負う重荷はキム・ガプスの表情によってその苛酷さを象徴している。
金車雲は拉致・殺害に失敗すれば、自分だけでなく妻子の命さえ奪われてしまうのだ。もちろん他のKCIAのメンバーも同じ危機感の中で工作を進めている。その点、この拉致に自衛隊員が関わる理由の希薄さは、佐藤浩市の表情の甘さに出ている。彼(もしくは自衛隊)は、全く自分の思い込みだけで拉致に関わり、結局日本の主権は侵害され、国家の未成熟ぶりをさらけ出す結果となった。
韓国第6代大統領・朴正熙[パク・チョンヒ] にとって金大中氏は最大の政敵であり、1971年4月に行なわれた選挙では「組織的な買収・妨害・脅迫など腐敗選挙の限りを尽くした上での辛勝」だった。朴は政権を脅かす存在を消すため、72年10月に非常戒厳令宣言を発令し、軍事体制に反対する6千人以上の学生を連行し苛烈な拷問を加える。「北のスパイを粛正するため」という理由だが、結局その首謀者扱いで金大中は日米で亡命生活を強いられることになる。「金大中の意図は統一でなく北朝鮮との合併だ」と決め付けての暴挙だ。
しかし金大中氏の主張は「民主化して後に統一」と一貫している。時の日本政府は、朴政権支持の意向を表明していたが、1973年8月9日に『自民党アジア・アフリカ研究会』で金大中氏の講演を予定しており、「日本で認知される前に強硬手段を取らざるを得ない」と、拉致・暗殺計画はいよいよ実行に移されようとしていた。
このように氏をめぐって、KCIA、韓国大使館、在日韓国青年同盟、警察庁公安部、マスコミがそれぞれの思惑で動いてゆくのだが、そこに自衛隊員(もしくは組織)が関わるのだ。何とも不可解な行動だが、事実、何らかの関与があったことはほぼ確実である。そしてその理由を映画では、<日陰の存在である自衛隊が日の目を見ようとして取った行動>との仮説を立てる。
「これは俺の戦争なんだよ! 軍人が戦って何が悪いんだ?」――三島由紀夫に心酔していた自衛隊員富田満州男のこの叫びに当時の自衛隊の置かれた立場を垣間見ることができる。<自分たちはアメリカ帝国主義の設定した舞台の上で踊らされるイエローモンキーに過ぎないのではないか>という共通の挫折感の中で、それぞれ日陰の存在ゆえに抱える矛盾を背負わされ、押しつぶされてゆく。金大中氏が暗殺をまぬがれたのも、こうした矛盾の狭間でおきた偶然で、決して人道的・英雄的な力が勝った結果ではない、との解釈が込められている。
これは組織の中で太ることも組織に反逆して英雄として死んでゆくこともなく、叫び声を飲み込んで生きてゆく物語、ということになるのだろうか。金大中氏にしても、政治家としての存在感が出ていないのは映画の意図したところだろう。当時の活躍ぶりから考えるともっとカリスマ性を持った政治家の印象だが、拉致された後の金大中氏の姿は悲壮感よりしょぼくれた悲哀さえこもっている。残念ながら映画公開当時の金大中大統領の支持率と、その周辺の汚職問題が反映されているのだろう。
この事件の後、韓国は様々な紆余曲折を経て民主化されたが、南北の民主的統一は望めないのが実情である。その上、北朝鮮の混迷は限界を超えてしまった。軍事的挑発も最後の悪あがき的な様相だが、世界各国とも平和的問題解決の道筋どころかその意思すら感じられず、その隙間から北朝鮮民衆の叫び声がのみが漏れ伝わる。さしずめ、映画を見終わった後に感じた「重く虚しい気分」など、今の悲惨な現実に出会えば吹き飛ぶほどのものだろう。
<やはりアメリカが本腰を入れて介入するまでは解決がつかないのかも知れない>と、映画を観ると思ってしまう印象だが、その本腰が決して人々に幸福をもたらす行動でないことは、近年の動向を見れば瞭然である。
『KT』で見せた図式――これがどれほどのフィクション性を含んでいるとしても、その本質を変える努力が、今後各国で為されるべきである。