日本史のなかに連続してきた諸政権は、大づかみな印象としては、国民や他国のひとびとにに対しておだやかで柔和だった。ただ、昭和五、六年ごろから敗戦までの十数年間の “日本”は別国の観があり、自国を亡ぼしたばかりか他国にも迷惑をかけた(第4巻・別国より)
日本の歴史、文化を語る上で、この随筆集程その複雑に入り組んだ謎を明解に説き明かしてくれるシリーズも無いだろう。ここに書かれた多くは「柔和で日本が誇るべき文化」なのだが、「司馬史観」とも呼ばれるその深い洞察は、作家自身の悲惨な戦争体験が下地にある。
あんな時代は日本ではない。と、理不尽なことを‥‥叫びたい衝動が私にある(第1巻・統帥権の無限性より)
こうした思いを持ち、氏が歴史上の数多くの文化や人物に傾倒していった経緯がしのばれる。ただ「別国の観があり」「日本ではない」と言うのはもちろん見間違いで、継続する何かが日本を敗戦に導いたわけだ。こうした原因については「現実離れした無責任な統帥権の乱用が原因」と、現在の政治状況にも似た官僚的な法の悪用を指摘しているが、おそらく人類が持つ普遍的な凶悪性と、島国特有の理想主義が遠因だろう。
歴史的に見てみると
鎌倉(時代)というのは、一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった
(第1巻・日本と仏教)法然、親鸞、一遍をみていると、非仏教のようにみえて、釈迦の仏教にもっとも近かったことがわかる
(第3巻・聖たち)
とあるように、浄土真宗に関連した項目もあり興味深い。
また別の書『歴史と小説』(河出書房新社)の中には、近代における親鸞の思想と教団の在り方が問われている項目もある。初期の随筆集ということで、読み比べてみると面白いかもしれない。