イッセー尾形といえば一人芝居%凾ナ日本のみならず欧米でもコアな人気を博していた芸人・俳優だが、この芝居の世界を小説にすると、例えばこの『消える男』になるのだろう。
主人公の高山邦夫は、全国を飛び回ってコンピューターの個人指導をなりわいとしている。彼には実在のモデルが居るのだそうだが、他の登場人物群もどこかで出会った印象が残るのは、イッセー尾形の観察眼の賜物だろう。
第1章〔ヘーン現象〕は、「オンボロ図書館を文化の中心にしたい」と意気込むアサミさん≠ゥらの依頼。彼女は元プロレスラーだが、ヤギに向かって「今度本を食べたら殺すからねっ」と凄むあたりは、リアルなようでいてどこか浮世離れしている。
第2章〔ハラショー バニー〕は、ウクライナ出身のバニーガールにメールの方法を教える話。第3章〔ビオラと天文台〕は、世界中を演奏旅行で回るビオラ演奏者にレクチャーする話。高山はどの街に行っても、一癖ある人物とのつながりで騒動に巻き込まれ、苦い思いのままその地を後にすることになる。
しかし第5章〔ドイツ人の靴修理屋〕でホテトル嬢の真澄と出会い、第7章〔お見合い騒動〕で子持ちの元スチュワーデス紀子と見合いをし、奇妙な三角関係ができるあたりから高山自身の過去にも焦点が当たることとなる。そして第9章〔あの夏の日の万華鏡〕で、高山が今の境遇に成った訳が明かされるが、これはちょっと泣ける話だ。
題名ともなっている第8章〔消える男〕は、高山が道楽で指す電話将棋ゲーム対戦相手の鳶尾に関わる話で、彼の語る逸話が中々いい。
ドアを開けて入ってきたその女性はもう九十歳になるという黒人のジャズシンガーで、真っ青なサテンのドレスに身を包みゆっくりゆっくりとステージに向かうんです。ご亭主というのが、年上なんだけど、彼女の杖代わりをして手を引いてあげて、拍手に迎えられてスタンドマイクの前に立つと「リンカーンが店の表で煙草吸ってたわよ」って言うんです。いつもかならず、絶対に変えないんです。それが聞きたくてやってくる客もいるぐらいです。
バンドは五人いましたが、これもすべて八十歳は超えてます。それから歌が始まるんです。これまたいつも決ったレパートリー。そしてこう言うんです。
「長く生きてきたけど、私に必要な歌は五曲だけ。それを歌うわ」って。
本当に必要な歌って、今の自分には何曲あるのだろう≠ニ考えさせられてしまう逸話だ。九十歳になった時、心から好きだと言える歌が5曲もあれば、確かに素晴らしい人生といえるだろう。
このメッセージに励まされたルミちゃんの絵を巡って、高山はさらに苦境に陥ってゆくのだが、三角関係の方は最も情け無い決着を迎えることになる。しかしその決着は、高山のような男としては、ある意味最も都合の良い状態なのかも知れない。
困ったモンダ≠ニ高山を笑いながら、笑いと同量のシンパシーが胸に残る、不思議な物語である。