「星新一」と言えば、日本にSFショートショートの分野を確立した作家として知られている。
その作風は、ストーリーの要点だけで文章を成立させ、澄み切った、それでいて緊張感のある世界を保ちながら、最後のどんでん返しまで突き進んでいく。登場人物はS氏、N氏と素っ気無く、うじうじした人間臭い葛藤を描くことなく、煩わしい人間関係のこじれを長々と描写することも無い――この「人民は弱し官吏は強し」以外は。
この小説は、著者の父 星一氏に奉げられたおそらく第一級の伝記小説である。
文体や物語は星新一氏らしく明快にテンポ良く進むが、その内容たるや凄まじい。鼻歌まじりに寝転がって読もうものなら、その圧倒的なパワーに打ちのめされる。余程気合を込めないと読めない小説だ。
星一氏は大正3年、京橋の交差点近くに製薬会社を設立する。明確な経営方針と不断の努力で薬品や冷凍装置を開発し、会社は発展するが、彼の私心のない言動が官吏達の反発を買い、ありとあらゆる妨害が仕掛けられる。
まず同業の会社を公費で設立され、ここにあらゆる特典が与えられる。この会社は、いくら損失が出ても税金で穴埋めするという虫のいい会社で、星氏は憤慨するが、冷静に心を静め「国民のためになるよう、互いに切磋琢磨しながら協力しよう」と、呼びかける。
ところがもとより利権と星氏への恨みで成り立つ官吏たちは、原材料の輸入差し止め、刑事告訴と、ありとあらゆる姑息な手段で妨害を繰り返してゆく・・・
何のことはない、これは戦前から脈々と続く問題、そして現在最も改革が必要とされる問題である。思えばこうした保身しか頭に無い官吏によって、いかに多くの才能、アイデア、優良組織、そして時には人命までも抹殺されてきたことか、との思いが巡る。
星新一氏の作家としての姿勢が、常にアイデアに満ち、読者を純粋な喜びの世界に浸らせることを旨としてきた理由も、そこにあるのではないだろうか。
新一氏は実に1000編を超えるという、気の遠くなるような数の小説を残して1998年1月5日逝去された。「たくさんのお話をありがとう」と、お礼を言いたい。そして、この『人民は弱し官吏は強し』を「過去の物語」として片付けられる国に日本がなってゆかねば、と思う。