[index]    [top]
【本・映画等の紹介、評論】

放送禁止歌

森達也 著、デーブスペクター監修/解放出版社

「放送禁止歌」と聞くとついHな歌を想像してしまうのは私のサガだろうか、それとも私が名古屋っ子であるせいだろうか? 「金太、負けるな」とか「お万、小鹿にさわる」、「吉田松陰、シンガポール恋しがる」などと歌う某DJの影響力は恐ろしい。特に先日、幻の迷曲「本願寺ブルース」を聞いてから放送禁止歌に敏感になってしまったのだ。

 クレームがつく前に自主規制

 気が付けば、私たちの回りには、毒にも薬にもならない恋愛歌と、薄っぺらな人生応援歌ばかりである。それが叙情的な言葉や奇抜な言葉で彩られ、大音量でマスメディアから垂れ流され続けている。

 今回紹介する『放送禁止歌』の本で取り上げられているのは、主に政治的な歌や反社会的な歌、また皇室の問題や差別に関連した歌などである。思えば、ジョン・レノンの『イマジン』が米同時多発テロの後アメリカで放送禁止歌に指定されたことは記憶に新しいが、こうしたお門違いの規制は今も健在だ。

 そうした正統(?)な放送禁止歌は1960年代後半から1970年代前半に指定を受けるが、主にフォークソングであることが指摘されている。

岡林信康『ヘライデ』『手紙』『チューリップのアップリケ』
高田渡『三億円強奪事件の唄』『自衛隊に入ろう』
三上寛『夢は夜ひらく』『小便だらけの湖』
泉谷しげる『戦争小唄』『オー脳』『黒いカバン』
山平和彦『放送禁止歌』『大島節』
頭脳警察『世界革命戦争宣言』『赤軍兵士の歌』
フォーク・クルセダーズ『イムジン河』

この中で、三上寛は規制に関して――

土着だとか怨念だとかカビ臭い言葉で俺の唄を決めるな。・・・首吊って死んだ話だの犯されて泣いただの、唄の歴史の中では何ともないこと、あまりに平和さ。我らにだの希望だの友よだの聞きなれすぎたから首吊りの唄を聞いて驚くのだ

というコメントを出していることが紹介されている。

 その後、1970年代後半以降になると「放送禁止用語」がマスメディアに浸透し、歌詞全体の内容より言葉それ自体が問題とされるようになる。いわゆる「言葉刈り」の始まりだ。しかもこの傾向は過去の歌にまで遡って規制が行なわれた、ということで、実に虚しい作業と言わざるを得ない。

 そうした中、気がかりなインタビューが載っていた。

「・・・要するに、クレームが実際につく前に、クレームが後々つくかもしれないから規制してしまおう。ヤバそうだから蓋をしてしまおう。そういう感覚なんですよね」

 おそらくこれは規制の中でも最悪のパターンであろう。こうした規制、それも危なそうだからメディア側が自主規制をかけるという姿勢は、結局、芯のある力強い名曲を排除することに繋がる。そして実際に規制がかけられ、闇に葬られた歌について、山平和彦氏は――

「・・・歌がもし生きているとしたら、・・・僕は誕生間もない子供を殺されたようなものかもしれないですね。・・・あんな理不尽な規制にあうようなことがなかったなら、もしかしたらまだ今も、僕は歌を続けていたのかもしれないな」

と述べているが、規制をかける側はこうした<歌にはいのちが吹き込まれているのだ>という想いをどう受け取っているのだろうか。
 さらに、部落にかかわる歌の問題は深刻で、規制をかける姿勢を以下のように批判している。

部落にかかわりがあるらしいというだけで、放送禁止歌という決定的な宣告を、メディアは多くの歌に与えてきた。この無自覚な条件反射は、部落に生まれたというだけで蔑視の対象と見做し、人としての当たり前の権利や生活を剥ぎ取ってきたこれまでの歴史と、意識構造においては寸分たがわず重複する。

 『竹田の子守唄』をめぐって

 この本の中で注目すべきは、「赤い鳥」の唄う『竹田の子守唄』についての記述が大きく頁をさいていることだ。1969年に発表されたこの歌は、フォークソング史の中で特筆すべき大ヒットをとばすが、やがて被差別部落で生まれた唄ということで徐々に聞かれなくなっていった。
「赤い鳥」のメンバーも最初はそうした認識がなく、気づいてからは唄わなくなっていったように見える。そういえば、数年前に発売されたベストCDにも含まれていない――ということで真相を尋ねて後藤悦治朗氏にインタビューがなされると、

「コンサートなんかで歌うときには、できるだけ歌詞の背景や歴史をお客さんに説明してから歌うようにしています。この五月にアルバム出すんですよ。そこでは原曲を歌っています」
(※注:紙ふうせん「saintjeum」 2000年5月FFAより発売 )

ということで、これはようやく見つけた一筋の光明であった。
 折角だからこの原曲を紹介しておこう。

この子よう泣く守りをばいじる
守りも一日やせるやら
どしたこりゃ きこえたか

ねんねしてくれ 背中の上で
守りも楽なし子も楽な
どしたこりゃ きこえたか

ねんねしてくれ おやすみなされ
親の御飯がすむまでは
どしたこりゃ きこえたか

ないてくれよな 背中の上で
守りがどんなと思われる
どしたこりゃ きこえたか

この子よう泣く守りしょというたか
泣かぬ子でさえ 守りやいやや
どしたこりゃ きこえたか

寺の坊さん 根性が悪い
守り子いなして 門しめる
どしたこりゃ きこえたか

守りが憎いとて 破れ傘きせて
かわいがる子に 雨やかかる
どしたこりゃ きこえたか

来いよ来いよと こま物売りに
来たら見もする 買いもする
どしたこりゃ きこえたか

久世の大根めし 吉祥の菜めし
またも竹田のもんば飯
どしたこりゃ きこえたか

足が冷たい 足袋買うておくれ
お父さん帰ったら買うてはかす
どしたこりゃ きこえたか

カラス鳴く声 わしゃ気にかかる
お父さん病気で寝てござる
どしたこりゃ きこえたか

盆がきたかて 正月が来たて
難儀な親もちゃうれしない
どしたこりゃ きこえたか

見ても見飽きぬ お月とお日と
立てた鏡とわが親と
どしたこりゃ きこえたか

早よもいにたい あの在所こえて
向こうに見えるは 親のうち
どしたこりゃ きこえたか

「寺の坊さん 根性が悪い/守り子いなして 門しめる」とは僧侶の私にとっては厳しい歌詞だが、こうした表現が残るについては、現実、そうした行いが多々あったのだろう。
 また、最後の番「あの在所こえて」には多くの謎を含んでいることに触れているが、私は最初「生死」につながる歌かと思ってしまった。しかしやはり「親の家に一刻も早く帰りたい」という思いの強さがにじみ出ている歌詞であろう。ほのぼのとした「子守唄」ではなく、厳しい労働歌である「守子唄」は、かくも一途に親を慕う心を詠み込んでいるのだ。

 他に、『手紙』や『チューリップのアップリケ』について、岡林信康自身が口を閉ざしていること。また、皮肉の意味で『自衛隊に入ろう』と唄ったら「自衛隊としてこの歌を正式に採用したい」と依頼があったエピソード。また、アメリカと日本における規制の基準の違いなど載っているが、一読に値するのは、やはり規制された歌詞の紹介である。

[Shinsui]


[index]    [top]

 当ホームページはリンクフリーであり、他サイトや論文等で引用・利用されることは一向に差し支えありませんが、当方からの転載であることは明記して下さい。
 なおこのページの内容は、以前 [YBA_Tokai](※現在は閉鎖)に掲載していた文章を、自坊の当サイトにアップし直したものです。
浄土の風だより(浄風山吹上寺 広報サイト)