1994年4月、ルワンダ。この国では長年にわたってフツ族とツチ族の対立が続いていたが、フツ族のハビャリマナ大統領はツチ族との和平協定に応じ、対立は収束に向かうかと思われていた。しかし突然のように大虐殺事件が発生し、100万とも推定されるツチ族や穏健派フツ族の人たちが命を落とすことになる。
ルワンダはかつては多数の民族が混在する地だったが、次第に多数派のフツ族と少数派のツチ族に分かれ、階級分化と支配・被支配の歴史が繰り返されていた。その挙句、積年の恨みを背景にフツ族の民兵グループ「ルワンダ愛国戦線」(RPF)がツチ族の根絶やしを図ったのだ。
ベルギー系高級ホテル「ミル・コリン」で働くポール・ルセサバギナは、ホテルの格式を高めることに奔走する有能な支配人だったが、妻はツチ族だった。事件が起こるまでにも不穏な空気は感じていたが、周到に計画された大虐殺の噂を義兄夫妻から聞いても信じようとはせず、国外脱出までは考えてもいなかった。
ところがまもなく、和平協定に応じたはずのハビャリマナ大統領が暗殺されてしまった。そしてこれをツチ族の仕業と断定するニュースが流れると、報道を楯にしたフツ族民兵は、あらかじめ大量に輸入してあったナタを手にツチ族の民家を次々に襲っていった。
ポールは当初、自分の家族のみの助命を嘆願するが、ホテルに逃げ込んだ数百人のツチ族を前にし全員の命を救う決意を固める。幸い和平協定締結のニュースを配信するため、世界中から報道記者が集結している。この虐殺の映像さえ流れれば世界中の心ある人たちが動いてくれるはずだ。
そう期待したポールの前に現れたベルギーの国連軍。皆大喜びで迎えるが、何と彼らは、外国人撤退のためだけに来たのだという。つまり、ツチ族や穏健派フツ族は、大虐殺の只中で世界中から見放された存在となったのだ。
平和維持軍指揮官は、ポールにはっきりと言う――「君が信じている西側の超大国は、彼らはゴミ≠ナ、救う値打ちがないと思っている」、「君らはニガー∴ネ下の、アフリカ人だ。だから軍は撤退する。虐殺を止めもしない」と。
誰も自分たちを守る者が無い中で、彼らははあらゆる手段を講じて生き延びる術を量らなければならなくなった。ポールは妻に言う――もし民兵たちがホテルを襲って来たら、娘たちともども屋上から身を投げてほしい。「ナタで殺されるよりましだ」と。
泣き叫ぶ妻もやがて夫の真意を理解して肯く。義兄夫妻家族の安否もいまだに知れない。全く先行きが解らない中、食料調達に訪れた先でポールは、ミル・コリン・ホテルが民兵たちに襲撃された、という情報を得る……。
1994年4月から7月にかけてルワンダで起きた大虐殺事件は、差別のおぞましさが最大限に発揮されてしまった事件と言えよう。差別は人間を傷つけるし、時として生命さえも奪う≠ニ、私自身多くの勉強会で学ぶ機会を得、理解してきたつもりだったが、あらためて差別の恐ろしさを認識させられた映画だった。
ところで、フツ族とツチ族を分けたものは何だったのだろう。実際には、両種族とも同じ地に住み、言語も宗教も同じ。ポールのように種族を超えた結婚も多くあり、両民族の境界は曖昧だったという。それでも彼らを分けたのは何か。
おそらく、政治的な思惑と、それに触発された我執の暴走だろう。
権力者にとっては、民衆を支配するには大変な労力を必要とし、政治基盤は常に脅かされる立場にある。本来、国を治める者には聖王の徳が必要とされ、古代インドではその理想を「転輪聖王」の姿に集約してきた。しかし現実にはこうした徳を得る王はまれで、それでも徳を得ようと願う権力者は良いが、時としてその欠点を隠すため差別意識を利用する。つまり、国内外に仮想敵を作り出し、権力者の不徳を払拭するのだ。これは地盤の弱い者が行う卑怯な常套手段と言えよう。
フツ族とツチ族を強引に分け、一方が他方の歴史・文化を「ゴキブリ」呼ばわりすれば、罵[ののし]ることを非難するより、罵りに乗る方が簡単だ。かつてはこの図式によりツチ族がフツ族を支配下に置いていたが、ドイツやベルギーがその差別を徹底的に固定化した挙句に裏切り、フツ族優位のまま独立。この結果がどうなるかは、火を見るより明らかだ。
「政治的な思惑」と「差別意識に毒された我執の暴走」。どちらが先とは言えないが、これは車の両輪のように連動して人々に襲い掛かってゆく。こうした差別と暴力の連鎖は、自らの不徳の姿に気付かない限り止まないのだ。
そういう意味では、私の中にも大虐殺に向かう要因はある≠ニ認識を改めなければならないだろう。しかし同時に、それを阻止する力も自分の中に宿っていることを忘れてはならない。仏教で言えば、仏性は五蘊を離れては存在しないし、衆生を離れて如来は存在しない。ただ、その力の発揮が成されていないだけなのだ。
この力を発揮させるためには、今までの自分は他民族や他人に対し、「彼らはゴミ≠ナ、救う値打ちがない」と思い込んでいたことを素直に認めることであり、懺悔せしむる真心を尊ぶことが必須であろう。
なお現在、ルワンダでは、フツ族・ツチ族という用語は使用を禁じられているという。まずは賢明な方策と言えよう。映画は当時の状況を再現した作品だから許されるだろうが、それ以外では差別助長につながるので以後は私も使用を控えたいと思う。
また、最後に流れる歌にはとても重要なメッセージが含まれている。しかしもし「アフリカ合衆国」的な巨大国家が誕生したからといって、全てが解決するわけではないことも付け加えなければならないだろう。
現在の巨大国家の中にも、差別を下敷きにした虐殺事件は後を絶たないし、巨大権力の副作用もある。目的のためには手段を選ばない≠ニいうような暴走が一番怖い。理想を楯にして一気にいかないことだ。段階をふんで、ルワンダのみならず、アフリカ全体が平和で豊かな大陸になることを願っている。
PS: 当初この映画を興行的に採算が合わない≠ニ判断した日本の配給会社の責任者よ。時代を見誤ることなかれ。今はもう有頂天な娯楽作品だけで満足できる時代でないことは若者の方が良く知っているのだ。
入場まで数時間待たされるほどの列ができていたことをここに記しておく。