【本・映画等の紹介、評論】
ヒカルの碁
ほったゆみ 原作/小畑健 画/梅澤由香里 監修/集英社
特大ヒットの漫画
昔、昔、子どもたちが『あしたのジョー』を見てボクシングにあこがれたように、『巨人の星』を見てプロ野球にあこがれたように、『キャプテン翼』を見てサッカーにあこがれたように、『空手バカ一代』を読んで格闘技にはまったように、『ギャンブラー自己中心派』を読んで鉄火場の恐ろしさを知ったように(?)・・・漫画やアニメに触発されてその世界に入り、そのまま一流になった人も大勢いる。
しかし、いくらなんでも碁のアニメを見て、小中学生が実際に囲碁に興味を示すようになるとは思わなかった。囲碁は将棋と違って入門のところでつまずくことの多いゲームである。超初心者どうしで打ったら、どこで止めればいいか、どちらが勝ったのかさえ判別がつかない。ところが『ヒカルの碁』が1998年から週間少年ジャンプに連載され、アニメでも放送されるようになると、またたく間に碁は子どもたちの注目の的となってしまった。こんなとっつきにくいゲームをメジャーに押し上げるとは、漫画・アニメの力恐るべしである。とある入門者セミナーでは、予想外に人数が集まり会場を移すはめになった程で、しばらくは囲碁ブームが続くと予想される。
原作は、もと専業主婦の「ほった ゆみ」。漫画は、画力がありながらヒット作品になかなか恵まれなかった「小畑 健」。監修に、梅澤由香里(四段)を迎え、これぞジャパニーズ・ドリームともいうべき成功を収めた。
この漫画の人気の秘密はそのとんでもない設定にある。
藤原佐為という千年も前の碁打ちが現代に蘇り、碁に全く興味の無かった進藤ヒカル(小学6年生)に憑いて、周りの大人たちを驚愕させながら、ヒカル自身も碁の面白さに目覚めてゆく、というのだ。
もし最初からヒカルが碁に興味を持っているような設定だったら、その時点で碁に興味の無い子どもたちからは見離されていただろう。ヒカルが普通の子ども、しかもあまり学校の成績が良くない子、という設定によって、子どもたちは主人公に同感していくことができる。
そして、囲碁のルールにのっとって実力をつければ、どんな偉そうな大人に対しても、文字通り「一目置かせる」ことができる―― おそらく現実の子ども達の日常生活は、大人に頭ごなしに押さえつけられている毎日なのであろう。大人は経験を語り、子どもはそれに抗う術を持たない。そんな中で、一瞬にして立場を逆転させるヒカルの姿はどんなに心躍る出来事だろう。麻雀漫画に出てきそうな一癖あるおっさん達が、打ち終わると目をひんむいて恐れおののく。
勿論、現実には余程の経験を積まないと院生などにもなれないが、「佐為がついてるから」という前提でストーリーはどんどん先に進む。さらに、囲碁に詳しい人にとっても、「本因坊秀策が現代の定石を覚えたら」という設定は興味をそそるだろう。
先にも書いたが、囲碁と将棋を比べると囲碁は圧倒的にとっつきにくい。しかし、とりあえず両方やってみると、その思考の方向性が全く違うことだけは誰でも分かる。
将棋はいわば有事の競技、戦場における思考である。飛車や角が敵陣に入って成れば、その場所はその駒に占領されてしまうし、どんなに駒を多く集めても、王が倒れれば後の駒は意味をなさない。味方の駒はどれだけ犠牲にしてもいいから、先に相手の大将の首を取った者が勝つという競技で、いわば駒に価値の上下があるのだ。
比べると、囲碁は平時の競技、一般社会の思考である。一箇所で競り勝っても全体として負けたら意味が無いし、捨石ということはあるが、常に他の石との関係で陣地を増やしてゆくから、将棋のような殺伐とした斬り合いにはならない。また石には上下はなく、相手の陣地深くに打ち込んでも、つながりの無い石はそのまま死ぬしかない。いわば論戦的な思考回路を使いながら、終局は恰好よく言えば人生の縮図のようにも見える。また昔から僧侶にはよく嗜まれていたことからみても、仏教を学ぶ思考回路とどこかで合致するのかも知れない。
現在、日本囲碁界の努力やインターネット等のおかげで、囲碁の裾野が世界的に広がりつつある。チェスや将棋は地域性があるが、囲碁はそうした壁がなく、おそらく近い将来、世界大会もワールドカップなみに注目を集めるようになるだろう(?) 事実、アジアでは中国や韓国がしのぎをけずって実力をつけている。既に日本は2カ国を追う立場だが、この『ヒカルの碁』が火付け役になって、囲碁の底辺を拡大するかも知れない。
以下、私が気になった『ヒカルの碁』(佐為編)の名珍場面を紹介する。なお、現在(2002年8月1日)の段階では、アニメは第88局分まで放映が済み、単行本ジャンプ・コミックスでは17巻(第148局まで)で「佐為編」が完結。週間ジャンプの連載は「ヒカル編」に移り第157局まで進んでいる。
アニメではプロ試験の真っ最中で、その合否に気をもんでいる人もいるだろうし、5月5日の出来事を知らない人もいるだろうから、そのあたりは触れずにおくことにする。
- はるかな高みからの視点――第2局(1巻73頁)
- 進藤ヒカルが初めて打った碁は、藤原佐為の手引きで打ったものなので、プロ級の腕前の塔矢アキラにとっても驚愕に値する内容だった。その慣れない手つきと、はるかな高みから自分を測っている実力の格差は、当然のことだがアキラには理解不可能だった。以来、アキラはヒカル(佐為)をひたすら追いかけることになる。ところで、これを言っちゃおしまいだろうが、ど素人の手つきでプロ級の碁を打つ小学生がいたら、≪誰かと秘密裏に通信しているんじゃないか?≫と疑うべきだろう。
- 緒方精次九段が慌ててる――第6局(1巻155頁)
- 話が進むにつれて知的でクールな面が前面出てくる緒方九段(後には十段)だが、この場面はまるで塔矢行洋名人の使い走りみたいに慌てている。後の緒方を知って、あらためてこれを見るとすごく違和感があるのだ。後半のキャラクター設定であれば、塔矢名人と打たせる前にまず自分と対戦させているだろう。ある意味珍しいシーンである。
- 本を見て打つ――第10局(2巻57頁)
- 中学生冬期囲碁大会に出場した筒井公宏くんだが、何と「定石の打ち方100」という本を広げて対戦する。シリーズ随一の大爆笑場面である。もちろん対戦相手からはバカにされるが、ヨセで逆転する。
- 石を動かす!――第14局(2巻153頁)
- アタリから逃げるために、藤崎あかりの考えついた方法は、誰も思いつかない手だった。大爆笑シーン第二段である。
- 稚拙な打ち方は記憶に残らない――第17局(3巻27頁)
- 塔矢アキラが先輩たちのいじめで目かくし碁を打つはめになる。その中でも最も下手な相手に苦戦するのだが、これは打ってきた石に必然性がないため、記憶がつながらないためだ。囲碁も将棋も、まずはちゃんと記憶できるレベルの対戦を目ざそう。
- 理科室で石を洗う――第17局(3巻55頁)
- 部員の少ない囲碁部は専用の部室がなく、理科室を活動場所にしているが、碁石を洗うことを考えると、ここで良かったのかも知れない。これから理科室を拠点とする囲碁部が増えるだろう。立体的に並んだ蛇口がなぜか嬉しい。
- 「ふざけるな!!」――第28局(4巻57頁)
- 塔矢アキラは進藤ヒカルと対戦するためだけに囲碁部に入り、皆の憎悪を背負ってきたのに、途中からヒカルが自分自身で打ったため、佐為との余りの実力差に怒り心頭に達してアキラが叫ぶ。この台詞がヒカルの闘争心に火をつけた。
- 「もーっ、よけいなお世話よ」――第29局(4巻80頁)
- 碁会所「囲碁サロン」の受け付けをしている市川晴美さん(おそらく20代後半)は、余りにアキラくん想いのため、客から「お似合いの男の人、紹介してあげようか」と言われ、怒る。おそらく、≪私は姉のような存在なのよ≫という反発があるのだろうが、本音は?
- 「まるで秀策が現代の定石を学んだみたいに・・・」――第33局(4巻167頁)
- この台詞こそ、作品に果てしない向上心を描き出す原動力であろう。まさに「囲碁の歴史上一番強い人」である本因坊秀策(佐為)が、インターネット等を通して現代の定石を学んで打っているのである。
- 「強くなったのは――私の方です」――第35局(5巻25頁)
- 現代の定石を覚えた佐為が、最強の碁打ちに成ったことを自ら実感している。この強さをもって全力で当ることのできる相手は一人しかいない。その対戦は実現するのだろうか・・・(もちろん、するよ)
- 三谷祐輝の吊りバンド――第37局(5巻64頁)
- 三谷祐輝の吊りバンドが、藤崎あかりに引っ張られて伸びている。何気ないシーンだが、なぜか笑える。
- クツワ町の井上さん?――第38局(5巻81頁)
- ヒカルの成長に驚くじーちゃんだが、「ワシをなんだと思っとる! クツワ町の井上さんに勝てたのはワシだけだぞ」と昔を自慢する。当時は余程強いと碁仲間では噂があったのだろう。こういう自慢話は井上さんを知らないと説得力が無いが、妙に生々しい。おそらくこういうことを言う年寄りが原作者の身近にいるのだろう。
- 「アイツはオレと戦いたくて、ムリヤリ三将になったんだよ」――第44局(6巻24頁)
- 院生試験に受かったヒカルが、他の院生にアキラとのことをつい漏らしてしまった台詞。このため皆の注目を集めるが、すぐ大した実力でも無いことがばれる。しかし、後にこの噂が復活する。
- 座間王座、余裕のお茶――第49局(6巻140頁)
- 新人プロのくせに生意気な口をきく塔矢アキラを、座間王座は全力で倒しにかかる。アキラも手を緩めず次々強手を打つが、王座に見抜かれ返される。ここでお茶を飲む王座のしぐさが、余裕が出ていてニクイ。
- 「ヒカル、ほらっ、もう一局、もう一局」――第局(7巻59頁)
- 佐為の切り込みの鋭さを理解し、恐れを抱いたため、その影響で院生の順位も下がってきた。「塔矢のように、恐れを勇気にかえて」と佐為に促されて踏み込むと、容赦なく一刀両断にされるヒカル。そのヒカルに言った台詞だが、印象に残るシーンである。
- 三連勝したヒカルの顔――第56局(7巻105頁)
- 強い和谷義高にまで勝って三連勝したヒカル。それを知って相手がビビるシーンで、背後のヒカルの顔が妙に笑える。調子にのって四連勝する。
- 「ちょっとウデを慣らしに来た」――第57局(7巻131頁)
- バレーボール部の金子正子さんが、囲碁大会に出るため腕をぶん回しながら理科室にやってくる。さすがに体育会系(もっと言うと格闘系)だけに押しが強い。そのうち碁盤を割ってしまうのではないだろうか。≪いつか金子さんのバレーボールでの活躍を見てみたい≫と思うのは私だけ?
- いつの間にか悪手が好手に――第59局(7巻168頁)
- 若手プロと院生がぶつかる若獅子戦一回戦で、ヒカルの打った悪手が次第に好手に化けていくシーン。これは、ヒカルの打つ碁に、≪はるか先を読む≫という実力が備わる兆しを垣間見せている。これを見て緒方九段がヒカルに注目する。
- 時間ぎりぎりの手――第63局(8巻57頁)
- 本因坊戦最終局で、桑原本因坊は封じ手になる時間ぎりぎりで打つ。周りも大迷惑だが、とぼけた顔をする本因坊。緒方九段は30分後に封じ手を書くが、「書きマチガイをしてなければいいんだがね」と脅される。「・・・ジジイ」とつぶやいた緒方九段は明らかに動揺していた。
- 「碁のプロになる試験・・・誰が受けてるの?」――第66局(8巻113頁)
- ヒカルの母親は、まさか中学生がプロ試験を受けられるなんて、考えもしなかったのだ。どんな親だって、いきなり自分の息子がプロ試験を受けていることを知ったら、やはり驚くだろう。そして、やはり言った親の定番の台詞――「もう少し勉強したら好きなことやっててもおかあさんだって文句言わないわよ」・・・だって。
- 「寝耳にミミズ」――第67局(8巻138頁)
- どうして唐突にこんなオヤジギャグを入れたのだろう。まさに寝耳にミミズクだ。
- 愛想の無いオバサン――第69局(8巻186頁)
- 「一番強い人達と打ちたい」と言われた碁会所の受け付けのオバサンは、「ナマイキなクチたたくガキは、あたしゃキライなんだよ」と喧嘩腰の返事をする。この性格は後々まで続き、皆がヒカルの成長に驚いている時でも一人冷静だった。しかし、皆が心配で気を揉んでいる時は、頼りがいがある言葉を放ったりもする。
- 「ちっ、生理にでもなたんかい」――第71局(9巻33頁)
- 「ふれあい囲碁まつり」のスポンサー役でもある都議会議員は、お目当ての桜野智恵子先生が来ないので思わずこんな暴言を吐く。これは唐突なセクハラ発言。ところで、このネームは原作者が書いたのだろうか。もしそうだとしたら、こんなことを言うオヤジが身近にいたのであろう。この後、塔矢アキラにプロの凄さを見せ付けられ、当分囲碁を打つ気が失せたようだ。
- 「塔矢の中の佐為だって、いつかオレが消してみせるさ」――第76局(9巻160頁)
- 韓国の研究生洪秀英との戦いに勝ち、尹先生にヒカル本人が認められた。その嬉しさから思わず吐いた台詞である。この言葉を聞いた佐為は、小さな胸さわぎを感じるが、これは後にはっきりとした形で現れる。
- 「ライバル強くして、どーすんんだよ」――第77局(9巻182頁)
- 実力を高めるため、和谷と伊角が協力して碁会所を回ったことを知ると、飯島良は烈火のように怒る。確かにライバルを強くするようなものだが、その上で勝つことを目指す人は伸びる。逆にこの飯島のように怒ったのでは大成しない、ということは申し上げておこう。
- 「ばかやろうっ 戻れる職場なんかあるか!」――第79局(10巻14頁)
- プロ試験を受けに来た人たちの実情が垣間見られる。職場を辞めて試験に臨む者、フリーター、長野から交通費2万円近くかけて来る者、三流大学に仕方なく行っている者・・・人生色々だ。合格者をうらやみながらも、「勝ちゃいいんだ」と納得して皆試験に臨む。
- あ、打ち直してしまった――第82局(10巻86頁)
- 院生トップクラスの実力者 伊角慎一郎に「魔の一瞬」が訪れ、痛恨の反則(はがし)を犯す。以後も、立ち直りに日数がかかってしまう。プロ試験は、実力があるだけじゃ勝てない苛酷なレースである。
- トイレ内部――第85局(10巻149頁)
- 越智康介は、碁に負けるとトイレにこもって泣く癖があるが、ここで初めて扉の内側が見られる。そう、単に悔しがるだけじゃない、敗因を見つけ出し、明日につなげているのだ。どんな分野でも、一流を目指すならこれをしなくてはならない。政治家や官僚や経営者もこうした検討をしてほしい。
- 大満足の一局――第87局(10巻186頁)
- 奈瀬明日美が、プロ試験で大満足の一局を打ち、その余韻に浸る姿が美しい。私の感だが、この奈瀬は監修の梅澤由香里(四段)をモデルにしているのではないだろうか。そうすると、16歳の彼女が試験に受かるのはまだ先のようだ。
- 2年前の一局を並べる――第87局(10巻197頁)
- 今まで誰にも明かしたことのないアキラ対ヒカル(実は佐為)の第2局を、越智相手に並べてみせる。越智を本気にさせるためらしいが、これでは余計に混乱してしまうのではないだろうか。
- 「どんな明日だろう オレたちの明日って」――第93局(11巻118頁)
- プロ試験最終戦に臨んで、合否ぎりぎりの和谷や進藤について話していた奈瀬が、「明日につながる碁を」打とうと言うが、飯島が実に無粋な台詞を吐く。やはり飯島みたいなのは伸びないゾ。
- シックスセンス――第99局(12巻67頁)
- 桑原(本因坊)が緒方(九段)相手に、不意打ちのように吐く台詞。映画の「シックスセンス」が流行った当時でもないから、いかにもオヤジギャクという感は否めないが、思わずふいてしまった自分が許せない。
- 桑原の顔がオモシロイ――第99局(12巻71頁)
- 進藤VS塔矢(五冠)の対決を皆が注目する、という状況を、「オモシロイ」と言う桑原本因坊だが、私が一番「オモシロイ」と感じたのは、この台詞を言った時の桑原の顔である。
- 佐為が対局場に座る――第99局(12巻75頁)
- 当初から塔矢名人と対戦を希望していた佐為だが、ここにきて、そのわがままを最大限に発揮する。モニタールームでは賭けまで始まり、異様な一戦が展開する。
- 「打ちたいなどとは――・・・時々しか言うまい」――第102局(12巻141頁)
- 佐為は時々カワイイ姿を見せるが、この台詞を言う時の佐為が一番カワイイ、と思う。
- もうじき名人――第104局(12巻171頁)
- 前々から名前の挙がっていた倉田厚(六段)だが、ここでベールを脱ぐ。サインに「もうじき名人 倉田厚」と書き、「そのうち棋聖」、「いずれは本因坊」と続けるその天真爛漫な言動で、愛すべきキャラクターぶりを発揮するが、いずれヒカルたちの前に壁となって立ちはだかる先輩のひとりであろう。
- 「か・・・確定申告ぅ〜〜〜?」――第105局(13巻15頁)
- 息子のいる世界をいまだに理解できていないヒカルの母親が、いきなり確定申告の話を持ち出され腰が抜ける。読者諸氏は母親の感性を笑うだろうが、一般的には中学生が確定申告をすると知って驚く方が常識的だろう。ところで、ヒカルは確定申告をちゃんとこなせるのだろうか? 結構大変だよ(と聞いている)。
- 「負けたらプロを辞めてもいい」――第108局(13巻90頁)
- ヒカルが塔矢名人に、インターネット碁を「真剣に打って下さいね」と頼んだその返答がこの宣言。佐為相手に本気に打つ決心をしたが、これがきっかけで思わぬ展開になる。
- 「少しは楽しそうにしたら?」――第114局(14巻8頁)
- クールな緒方精次(九段)が、十段タイトル戦中に気ばらしに遊びに行った先の女性の台詞。これに対し、「碁よりオモシロイものなどないよ」なんて言うんだ、緒方はぁ。・・・そのうちふられるゾ!
- 「逆転してるだろ! 佐為の負けだ!」――第116局(14巻68頁)
- 究極の一局ともいうべき戦いを終えて、佐為が満足げに目を移すと、何とヒカルが逆転の一手を指摘する。この指摘を受けることで、佐為は自分が現代に蘇った意味を知る。
- 「別れたくなかったのに」――第123局(15巻51頁)
- 以前の虎次郎(本因坊秀策)との別れを思い出す佐為。そして次の別れも迫ってきている。佐為はやはり悲しい存在だ。
- 佐為の後姿――第124局(15巻73頁)
- 幽玄の姿がここにある。
- 「広島の底力は後半戦で出るんじゃけえ!」――第127局(15巻140頁)
- ヒカル相手に押されっぱなしの周平が景気付けに言う台詞。確かにカープは後半に強い。ドラゴンズファンの私はよく知ってます。
- 「修得できる技術さ こんなもん」――第134局(16巻87頁)
- 感情のコントロールが苦手でプロ試験に落ち続けていた伊角慎一郎に対し、「元々の性格なんて関係ない」と中国棋院の楊海に指摘される。以後、中国で落ち着いて碁の勉強を続けることができた。
- こんな所にいた――第139局(16巻191頁)
- 佐為の打っていた碁がヒカルの打つ碁に見いだされる瞬間。これでヒカルはようやく碁を再開することになる。
- 「キミ その言い方は塔矢君に失礼だ」――第140局(17巻17頁)
- 本因坊リーグ入りしたアキラを「さすがは塔矢先生の息子ですね」と言った女性に対し、破れた萩原昌彦(九段)が「塔矢先生など関係ない」と、たしなめる。
- 「神ノ一手ハコノ中カラ生マレル」――第143局(17巻88頁)
- コンピューターVS人間の戦いを予感させる台詞である。
- 「未来を思うと 胸が躍るな」――第147局(17巻164頁)
- 塔矢、進藤、越智らが、明日の日本囲碁界をひっぱっていってくれる、という願いが込められている。ただし、現実の囲碁界は中国や韓国に押されっぱなしで低迷を続けている。この漫画が現状を打ち砕いてくれる一石となるだろうか。ちなみに『ヒカルの碁』は中国や韓国の囲碁界でもよく読まれているらしい。
- 佐為がヒカルに扇子を渡す――第148局(17巻201頁)
- これは今後の展開をにらんだシーンであり、佐為が存在した意義を顕している。
なお、「ヒカル編」に移ってからは、進藤ヒカルと塔矢アキラの関係は密になり、海外棋士との対戦を孕んだ展開になってゆく。
PS: ところで、黒のコミ(ハンディー)を何目にするかは時代によって変わる。これは互いの実力によっても形成が違ってくるだろう。おそらく実力が無い者どうしなら4目半で充分だし、上級になればなるほど、先手が有利となる。そこで私からの大胆な提案だが、コミはブリッジのようにコール制にしたらどうだろう。もちろん同じハンデをコールした場合は今まで通り石をにぎって決めればよい。そうすれば試合前からかけ引きが始まって面白くなるし、これこそ公平なルールだと思うのだが、いかがだろう。(友人に提案したら馬鹿にされた、が俺はめげない)
[Shinsui]H14/8/1
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