虐待を受けて育った3人の子供たち。卒業後、完全に立ち直り、人並み以上の成功をおさめつつあった3人。その3人が18年ぶりに再会した。その直後から次々に起こる殺人事件。いったい3人の過去に何があったのか?
上下巻あわせて500ページを超える小説だが、彼らの受けた仕打ちが明らかにされるに従い、どんどんのめり込むように読み切れてしまう。また途中“大体全容が分かったゾ”と思っていたら、最後にどんでん返しが2回来るから、「卒業登山での事故の謎」を想像しながら読んでみても面白い。
◆ トラウマの果てに
ただこの物語の主軸となるテーマは『トラウマ(心の傷)』であろう。徹底的にいたぶられ、虐待されて育った人々に、なお罪を加害者ではなく被害者に押し付けてしまう、社会や家庭のありようが告発される。
法律というものが、被害者を思いやろうとする視点はあるにしても、実際に被害者的な立場に立ち、被害者の視点から作られていないと思う (中略) 傷つけられた当人は、混乱していて、実際はよくわからない。人は忘れろと言う。 (中略) だが事実、自分は苦しんでいる、まともに息もつけず、幸せにほど遠い暮らしを送っている。自分の方がおかしいのか、傷つけられた自分の方が悪いのか・・・また、この「男性社会」と呼ばれる裏をあばき、母親役を押し付けられた女性たちの視点も描かれる。
[一九九七年 五月二十四日]
結局、この社会はなんだかんだ言っても、女に不公平にできてんの。女に犠牲を強いといて、それを家庭円満の秘訣だなんて、平気で言う世界なんだから。男社会とか言うけど、違う、ガキ社会なのよ。 (中略) <仕事を>さも大変なことのように言って、女を母親代わりにするガキばかりがのさばってる。わたしはそこから自由になることを選んだの
[一九九七年 五月二十四日]
そして「頑張れ」とか「努力しなさい」という当たり前の励ましの中にも、その裏にある“欲望を助長して成り立つ社会”の残酷性にも触れている。
努力しないなら人生の意味はないと、叱咤[しった]する。でも、あなたたちが言う頑張り、努力する道は際限なく欲望に満ちた暮らしをめざす道でもありはしない? 役に立つか立たないかで、すべてのいのちを判断し、生き残るためには、老いや障害は切り捨てても、嘘をつき約束を破っても、仕方がないよと言い逃れることのできる道でもありはしないの?
[一九七九年 初夏]
伝説の人、天才、英雄、世界を魅了するお姫様・・・その裏で、軽視され、虐げられ、吐き捨てられた子供たちが無数にいる
[一九七九年 初夏]
残酷な社会に傷つき、虐げられた人々の声を、他人は本当に聞く事ができるのか。理解することができるのか。主人公の優希は少女時代「正直に自分のことを話しなさい」と言われたことに反発する。
何も感じずに聞いてるからよ。耳では聞いているふりをして、心は閉ざしてるからよ。本当に、相手と同じ心で受け止めようとしたら、きっとつぶれてしまう悩みだって、あるんだから
[一九七九年 盛夏]
少女であっても、いや少女であるからこそ自分に「女」を見る周りへの不信感が増大する。それは男へだけでなく、押し付けられた「女」を受け入れている大人の女にも向けられる。
学校の制服は、街を歩き、満員電車に乗ることもある。女だからという理由だけで、女であるがゆえに危険な目にあう可能性のあるスカートが、どうして義務とされるのか・・・(中略) 教務主任は四十代の女性だったが、優希の訴えには答えず、普通の女の子はスカートが好きよ、見られるのも好きよとほほえんだ。
[一九九七年 晩夏]
心を閉ざし、嘘に慣れてしまった家庭で育つ優希と聡志そして母親。それは決して解決を産み出さないことは当人たちも分かっていた。
嘘とか秘密ってのは、慣れやすい。慣れると真実を告げるほうが簡単なときでさえ、怖くて嘘を選ぶようになる。かえって傷を大きくしてしまうことだって、あるだろう
[一九九七年 初冬]
やがて、この一家に悲劇が襲う。真相を知った聡志の行動が、他の人々をも巻き込んでそれぞれの終着点に向かわせる。そして事件の真相もあきらかに・・・
◆ 現実のわたしを受け入れて
さて、この物語の展開とはあまり関わらず、岸川という一組の夫婦が登場する。婦人は患者のひとりであるが、実は重要な言葉を述べている。おそらく著者の取材で、現実にそのような人がいたか、もしくは著者が癒しへのアプローチを試みて具現化したものだろう。
あの人が、あの人として生きていることを、わたしが、ただ認め、受け入れるだけで、支えになるとわかった。そんな単純なことで、わたしの人生は、意味のあるものに変わっていったの
[一九九七年 冬隣]
本気で、心から愛でてくれていると、わかったときは、もう充分幸せでしょ。男の人も、きっとそうなのね。自分が大きいか、感じさせられているか、気にしてばかりいる・・・みんな、ほめられたがっているのよ。ほめてくれる人と出会えたことで、充分なのよまた、現実社会への提言として心したいのは、以下の病院施設長の言葉である。
[一九九七年 初冬]
仕事だけして、よしとするのは、子供が外で遊びに精を出し、家に帰ると全部母親にまかせていた頃と、似たところがあるんじゃないでしょうか。本当に大人がやるべき、大切で大変な仕事は、さらに子育てと介護を加えたものだと思います。でも、誰もが大人なわけじゃありません最後に物語りは悲劇で終わる。手紙で明かされる真相。その真相を語る前に、ぎりぎりの心境を優希は想いを込めてつづる。
[一九九七年 冬隣]
真実を明かしたことで起こる、いっそうの悲劇や悪でさえ、受け止めてゆこうとする態度こそが、成長と呼ばれるものに結びつくかもしれません
[一九九八年 早春]
この小説、本来なら“めったにない異常な物語”であるはずのテーマが、むしろ社会性を帯びて読めるところが現代社会そのものの異常性を浮き立たせている。ただその救いの中に宗教が関わっていない事に個人的に少々不満はあるのだが・・・