十字架から芬陀利華へ
『ジャン・エラクル著/国際仏教文化協会』
著者のジャン・エラクル氏は少年時代から神に対する敬虔な思いを持ち、神学中学校から数々の僧院を訪れ、17歳の秋サン・モーリス修道院に入ります。幼年期より黙想が好きであったためか、哲学から神学への傾倒ぶりはすさまじく、隣人愛の実践に邁進します。
もはや(神を)「理解する」ことは問題なのではなく、「変えられる」ことが問題なのです。このため、愛の狭量性、不寛容性を克服する必要を感じ、もっと大きく物事を見てゆこうと、エキュメミズム(世界教会運動)やユネスコ活動に身を投じてゆきます。そしてその活動の中からギリシャ正教や東方教会の正当性(原初の教えに依拠)を見い出すとともに、
[隣人愛に燃える]
私は今では仏陀の教説が分っていますので、私の過去についてすべてが明らかで、私の今のいのちの刻一刻に「業」の影響をはっきりと感じるのです。ある日エラクル氏は、パリのユネスコの会館で偶然にも学習中の本の著者ワルポーラ・ラーフラ尊者に出会い、次のような示唆と、瞑想の指導を受け、修道院に帰ってからも熱心にヨーガと瞑想で自分の求道を続けます。
[業力のはたらき]私はこの仏(阿弥陀仏)の名を読んだとたん、全身が打ち震えました。いわば一目惚れというのでしょうか。私は言葉に尽くせぬ幸福感に満たされたのです。
[阿弥陀仏との出遇い]まもなく私の前に、きわめて強烈な特徴を持った至高の菩薩の理想の形がくっきりと見えてきたのです。
(中略)
菩薩の理想とは、その時まで私の人生の大きな部分となっていた慈愛や兄弟愛の理想に背くものではないと思われて来ました。
[大乗の菩薩像にひかれる]
福音書の教えはとても美しい。しかし福音書にはこの慈善をいかに増長するかを指し示す実践の教えが説かれていないのです。とりわけキリスト教にはいわゆる本当の慈悲心の基礎を形造るものを欠いており、仏教のみがそれを説いているのです。無我の教えがそうです。やがて様々なキリスト教の矛盾を解決するため「神は存在しないという仮説を自分に提示して、何が起きるか見てみよう」と、決然と意志を固め、集中力を高めていきます。
[ラーフラ尊者を訪れる]
私の生の深いところに変革が起きたのです。私はかつて感じたこともないある幸福を感じました。すべてが私には別のものに見えました。その時私は、釈尊の教えが、初めも、中も、終わりも真実であることがわかったのです。その時点では「イエスのみ名を呼ぶことをこれでも放棄せずじて」精神統一の方法として、キリスト教の中で完成させることを目指していた著者でしたが、日本の仏教と出会い、次第にそうした葛藤、苦悩からも解放されていきます。
[決然と新しい生活を開始]
私は「大歩道」の奥のマロニエの木陰に坐っていた時、ひらめきのようなものを感じました。それは「充満」とでもいったものでした。それこそ大いなる包括的認識、プラジュニャー・パーラミターとも思えるそれでした。やがてエラクル氏は法華関係の団体とも接触しますが、その布教方法と不寛容な内容に嫌気がさし、不愉快な言葉を浴びせられ、決別をします。
[禅の実践]
人の究極的真実への真摯な求道はその人を必然的に目的へと運んでゆくのです。やがてそうした真実追究の思いが花開くように、[観無量寿経]の観想に身を任せ「素晴らしい哲学的濃密さ」を味わい、称名念仏の功徳に深い感動を覚ます。
[二つの宗教のはざまで]
ここからは、日々法の理解を深め、その喜びに満ちあふれた思いが熱く語られます。この文を読むと私たちは“近代において、これ程までに念仏の喜びを吐露した文章があっただろうか”と、自問せざるを得ない心境になります。
勿体なくも、水で薄めたような信心の領解しかできていない私たちに、この書は仏教、念仏の素晴らしさを、著者の宗教遍歴を通して衝撃的なほど明快に現出してくれます。近代の宗教回想録として、これ以上の書を見つけることはおそらく難しいでしょう。地味でまじめで他に比類無き光明を放つこの一冊が、多くの人に読まれる事を願っています。