平成アーカイブス


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【コラム】

平成13年5月26日

「明日があるさ」って言うけど・・・

これは力強いメッセージなのか?

されど我等が日常

 かつて坂本九が爽やかなイメージで歌った『明日があるさ』という曲が今年リバイバル大ヒットしているのは衆知の通りだが、<Re:Japan>の方はオリジナル版(作詞:青島幸男)の《多少ストーカー気味だが「はにかみ」が前面に出てる路線》の延長で大した衝撃もなく聴ける。しかし、<ウルフルズ>の歌う「ジョージアで行きましょう編」(替え歌:福里真一)の方はそれと違い、切羽詰った社会の実情が反映されているようで、切なさより辛さが増しているようだ。

  答えは風の中

 かつての同僚が独立したり、フランス人が上司になったり、敬語もできない部下が我が物顔で振舞ったり・・・
 日本社会は今、かつて通用した常識が脆くも崩壊し、仕事で頑張る理由さえ分らなくなった人たちで溢れている。そんな落ち込みそうになるサラリーマンの心にピッタリとはまったのが『明日があるさ/ジョージアで行きましょう編』という曲だが、これを聴いて余計に将来が不安になったのは私だけだろうか?
 特にトータス松本があの濃い顔を振って理由も無く「あしーたがあるー」を連発すると、“ホントは明日もダメなんじゃないの?”と勘ぐりたくなるのだが、彼らの自暴自棄的な元気のよさは、実は皮肉とも思える歌詞にも顕れている。
ある日 突然考えた
どうしてオレは頑張ってるんだろう
家族のため? 自分のため?
答えは風の中

 特に「答えは風の中」という一文、これはご存知(だったらかなりの年?)ボブ・ディランの『Blowin' in the Wind」(風に吹かれて)という曲の中で繰り返し使用されるフレーズ“The answear is blowin in the wind.”(答えは舞う風の中にある)を意識したものだろう。しかし、こっちの歌詞は内容がかなり深刻である。

Yes,'n'how many years can some people exist
Before they are allowed to free?

どこまで人は自由を奪われたまま、生きていられるのだろう?

Yes,'n'how many times can a man turn his head
Pretending he just doesn't see?

いつまで人は顔を背けていれば、見て見ぬ振りをやめるのだろう?

The answear my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin in the wind.

友よ、その答えは舞う風の中、風の中にあるのだ。

 その他、「どれだけ弾丸が飛べば、永遠に戦いを止めるのだろう?」、「どれだけの耳があれば、人々のすすり泣く声が聞こえるのだろう?」という問いを、「答えは風の中にある」という、ある種哲学的な怒りで応えているのだが、これは「信念」と「歯ぎしり」が入り混じったような叫びである。この主張がなされてかれこれ40年。いまだに世界各地では紛争が絶えない。

 もちろん『明日があるさ』の方には、そんな深刻な意味が込められているとは思えないが、「どうしてオレは頑張ってるんだろう?」という問いかけからは「自分がこんなに頑張っているんだから、この頑張りには何か深い理由があるはずだ」と、因果を反転した視点を示し、それが日本人全体が感じる逆説的な希望であることを伝えている。

  野暮ですが

 ところでこの「明日がある」というフレーズだが、これと正反対とも取れる内容の有名な短歌がある。と、ここまで書けば勘のいい人はもうお分かりだろう。得度を控えた範宴(後の親鸞)9歳時の歌である。

明日ありと思う心の仇桜[あだざくら] 夜半[よわ]に嵐の吹かぬものかは

 準備が遅れて夜になったため、「得度は明日にしたらどうか」と気使う青蓮院・慈円に対し、「明日が計画どおりになる保証はないのだから、すぐに得度したい」という思いを込めて歌が詠まれた(もしくは以前からあった歌を詠まれた)のだが、これを受けて師は夜のうちに得度を行なったと伝えられている。
 このため今も浄土真宗の得度式は昼間でも戸を閉め切った暗い中で行なわれ、宗祖の求道心を偲ぶ縁としている。

 誤解されると困るのだが、この歌は「明日など無いと思え」と脅している訳ではない。また単に「今日の仕事は明日に回すな」という急かした気持ちで詠まれたものでもない。「諸行は無常であり、明日のいのちの保証はない」、また「明日は今日の活動が下地となって生み出されるもので、今日をおろそかにしたら明日はない」という意味が込められているのだろう。

 野暮になるだろうが、この視点から「明日があるさ」と言い得る理由を追求すれば、「こんなに頑張っているのだから」という常識的な夢と、「あると思わんとやっとれん」という非常識な事実が見えてくる。しかしどちらも確固としたものではない。
 むしろ、空に向けられた指を自らが立つ場に降ろし、「今こそがある」という厳然とした事実に希望を見出すべきではないだろうか。

 そういえば、青島幸男らが先鞭をつけた日本のバラエティー番組の質が、現在、粗製濫造でそろそろ「明日はもういいよ」という憂う状況になっていることを思いおこすが、それとともに「まさか、政治や宗教までも同様なんじゃないだろうな?」という胸騒ぎも起る。
 ここはコーヒーでも飲んで、「改革」の美酒に酔いたがる気持ちはひとまず置き、厳しい現実が間近に迫っていることを肝に銘じるべきであろう。

[Shinsui]

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