平成アーカイブス <旧コラムや本・映画の感想など>
以前 他サイトに掲載していた内容です
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先日、長野県の安曇野に別荘を買った、と言っても買ったのは親戚なのだが、親戚の別荘は私たちの別荘でもある(?)。さっそく鍵を預かって出かけてみると、景観は抜群に良い上、涼しく、便利さも具え、近くには温泉やプール設備も整い、美味しい
おまけに猿の親子が道路を横切って、あやうく
赤松などの木がうっそうと茂る中に別荘はあった。窓がサッシでなく木製なので少し古めかしさを感じるが、建てつけは万全。長距離運転で疲れていた私も、少し休んだ後、辺りを散策してみることにした。
別荘の道を奥に入ると、すぐ渓流に突き当たる。水が冷たいせいか魚は見当たらない。しかし、そこら中に蛙がいるから、おたまじゃくしが育つだけの餌はどこかにあるのだろう。
それにしても、水が澄んでいる。少し行くとわさび田があるくらいだから、水の澄み具合は半端じゃない。手と顔を洗うとセミの声も清々しく聞こえてきた。河幅はほんの2〜3メートルだが、面白いことに、こちら側と向こう岸とで生えている草が異なっている。特に笹は向こう岸にしか生えていないことが不思議だが、日の当り具合のせいなのだろうか。
推理はさておき、笹を見つけたら笹舟を作りたくなるのが人情。しかし作り方が分らなくて自己流でやると、大概が草のかたまりになってしまう。何を隠そう、私も知らなかったので早速教わると――
まず笹の葉の先を折り、三等分に切れ目を入れる(図1)。
左端の部分を右端の中にくぐらせる(図2)。同様に葉の元の部分も作れば完成。
理屈は簡単だが、切れ目が深すぎると抜けてしまうから注意しよう。
さて、笹舟は河に流さなきゃ作った甲斐がない。さっそく上流で流してもらい、下流で受け取ろうと待ち構えたが、いっこうに舟はやって来ない。
探してみると、岩に引っかかったり、渦に飲まれたり、途中で壊れてしまったりで、大抵10メートルも進まないうちにトラブルに巻き込まれていた。
特に河が蛇行している地点ではすぐに岸に寄ってしまう。おそらくどんなに多くの舟をこの地点から流しても、下流まで至り海に出る確立は限りなく0に近いだろう。
そう思った途端、ある経典に記された「中道」の比喩が頭に浮かんできた。
『雑阿含経』巻43より
材木と笹舟・大河と渓流ではイメージが違うが、この比喩であらわされた中道の生活を維持することは中々困難で、特に人間関係の狭間に入って悩んだり、組織の意向や国の政策が蛇行している中では、中流に身をまかすことは至難の業である。むしろ組織の論理を身にまとい、国策を無批判に是認したり、傍観者になっていた方が楽に生きていける。また考えるのが無駄なほど社会が混乱した時には、憎まれっ子世にはばかる式で利己主義に徹した者が勝ちとなる。
しかし至難の業であっても、あくまで中道の生活を維持することを教えるのが仏教であろう。なぜなら、現実社会の複雑な成り立ちは、一見わずらわしく八方ふさがりの状態に陥ることもあるが、その中でも必ず抜け出し、次につながる道があることが見抜かれているからである。
如来の誓願は、孤独に閉ざされた私を解放し、一切衆生と共に歩む生き方に転じせしめ、覚りの大海に至らしめることを後押しして下さる。それは生命が最も生き生きと躍動する道でもあるのだろう。
そしてこのことは、国という単位で考えても同様に言えることで、一部の派や思想や考え方にとらわれると国家は立ち行きがいかなくなる。中道の教えは時空を越えた真理であろう。
話が大きくなってしまったので話題を戻すが、この別荘は近所にお住まいの、ある日本画家の紹介によって購入できた、と聞いていたので挨拶に伺うことにした。
玄関に入った途端、そのあまりに美しく整えられた内装に驚いてしまった。壁はチベットで
普通、人間が生活しているともっと汚れてくるものだが、突然お邪魔したにも関わらず、この片付きようはどうだろう。我が家とは大違い。もしかしたらこの人たちは仙人のような生活をしているのだろうか?
「ここは年中過ごしやすいですよ。でも触るとかぶれる草があるから気をつけて下さい」と言われ、庭を見てみると漆があちこちに生えている。こういうことも森林ならではで、それまでひとからげに見ていた草花に、様々な種類があることへ目を向けるきっかけとなった。
おそらく数え切れない程多くの種類の草や木や動物たちが、からみあいながらそれぞれの役割を果たしていて、全体としてこの有機的な自然を成り立たせているのだろう。
このように雄大でありながら繊細な自然をいつまでも満喫していたいが、仕事の都合で一泊で帰らなければならない。翌日の夕方、記録的な猛暑が続く名古屋へ戻ることとなった。途中のトイレ休憩では、おばちゃんたちが男子トイレまで占領していて焦ったが、何とか無事帰宅。途端にクーラーとテレビとパソコンの生活に逆もどりしたため、一瞬にして心はあの涼しげな安曇野の風景を離れてしまった。
唯一、安曇野に置いてきたもの。それはお土産として買った小さなガラスの風鈴であった。
作詞:やしろよう「安曇野」 より
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