阿弥陀如来って結構名声を重きに置いているんだ、と驚いたことがある。『
身近な置きかえで恐縮だが、例えば自宅近くに中華料理店が二件ある。両店ともよくテレビや雑誌に登場するのだが、一方は店の側から盛んに売り込みを図っていてマスコミに取り上げられたことを大々的に看板に出している。しかしもう一方は、店側の宣伝ではなくマスコミの側から取材の依頼がある。注意して見ると、前者の店には固定客がついた様子はない。比べて後者の店は口コミで客が途絶えることがない。全国版でチャーハンの特集が組まれたりすると、この地区の代表的な店として後者の店は必ずといっていいほど取り上げられるほどだ。
名声のみを求めれば不純であろう。しかし、中身の充実の結果としてなら名声は一つの基準となる。内容が大事であることは言うまでもないが、本当に素晴らしい仕事を続けていれば、必ず名声も伴なう。評判にならないようなら、まだ内容が足らないということかも知れない。さらに同業者に認められたとなれば、それは超一流の証明となるだろう。
すると、信心ということも、周りの厳しい眼を通してこそ本物となるのかも知れない。『仏説阿弥陀経』の後半に諸仏の称賛が記されているが、こうしたことを言うのだろうか。
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