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【平成モニター】

平成21年11月20日

ベルリンの壁崩壊から20年

― 日本のメディアはどう伝えたか ―

 ほんの20年前までのこと、イデオロギー対立により世界は明確に東西に分断されていました。分断の象徴だったものがベルリンの壁。鉄壁とも思えるこの壁が、ある日突然のように崩壊したのですが、この経緯は混乱の中の誤報≠ナあったことは既に伝説になっています。

 ベルリンの壁崩壊の経緯

 1989年11月9日、「旅行許可に関する出国規制緩和」の政令案が東ドイツ政府首脳部に提案され、大した審議も経ないままこの政令は通過。すぐに記者会見が行われ、ギュンター・シャボウスキー(社会主義統一党政治局員)は「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と発表しました。本当は「ビザの大幅緩和」程度だったのですが、シャボウスキーはさらに政令発効日時を問う質問に「私の認識では直ちにです」と答えてしまいます。

 本来これは明らかな誤報ですが、東西融合を望んでいた市民とマスコミの熱気によって「旅行自由化」は確定事項となって伝播してしまいました。混乱の中で最も危険だったのは東西ベルリンの検問所。数万人の群衆がゲート付近に押し寄せ、未だ指令を受け取っていない国境警備隊との間でいざこざが生じます。ここの警備隊は以前、壁を越えようとする人間を容赦なく射殺してきた過去がありますし、同年の6月には中国で天安門事件も起きていましたから、一つ間違えば大流血事件になりかねない事態だったのです。

 しかし余りの多勢にゲートは開放せざるを得なくなり、ベルリンの壁は崩壊。国境は事実上消滅し、これがきっかけとなって東西冷戦の終結(1989年12月3日)が宣言されました。この勢いはとどまるところを知らず、全東ヨーロッパにまで波及し、ついに共産主義の指導国であったソビエト連邦さえ崩壊に至らしめてしまいます。

 20年間に対する論調の違い

 こうした「伝説」には影のシナリオが無いとは言えませんが、歴史の趨勢[すうせい]として東西の壁は崩壊する方向に動いていた≠ニ言えるでしょう。ですからこれが必然だとすれば、この後にやってくる混乱もまた歴史的必然だったのかも知れません。

 ベルリンの壁崩壊後、しばらくは東西の交流・融合が喜びのうちに進みます。しかしやがて資本主義社会の暗部である格差があらわになります。考えてみれば、社会主義は生産手段の社会的所有を土台とする社会体制≠ナあり、これは資本主義が必然的に抱えていた「格差」の是正を盛り込んだ体制だったのです。したがって前体制では、失業の心配はなく格差も最小限にとどまっていました(もちろんこれについては異論も有)。しかし当然、資本主義の体制ではこの恩恵は受けられないことに旧東ドイツ国民は気づき、相対的に不利な立場でもあるため、現体制に疑問を抱く人も少なくないわけです。

 さらには南北の壁≠ニいう問題が浮上してきます。外国人の排斥の動きは以前からあったのですが、東西の壁が崩れた途端により顕著に、より憎悪のこもった悪質なものに変貌してしまうのです。特にネオナチなど国粋主義的な勢力の拡大は、ドイツのみならず、ヨーロッパや世界の先行きを不安なものにしています。しかし今のところ、大勢ではユダヤ人迫害など負の歴史から目を背けず、冷静に異文化や外国人を受容する方向に学びを深めているようです。

 こうしたベルリンの壁崩壊後20年間の動向を日本のメディアはどう伝えるのか≠ニいうことに私は興味があったのですが、論調として大きく二種に分かれることに気づきました。

 一つは、「むしろ昔の方がよかったのではないか」という声を代弁した論調です。かつて社会主義国の住民が欲しがったのは壁の向こう側にある「製品」だったが、いざ手に入れてみれば、熱望していた程の価値などなかった。失望し、振りむいてみれば皆自分のことばかり考えている。皆が助けあっていた東ドイツ時代が懐かしい≠ニいう論調です。不寛容で格差が野放しになった社会への疑問は、特にサブプライムローン破綻に端を発する世界的大不況の中では説得力を持った論に映りました。

 しかしもう一方の見方としては、旧東ドイツにおける秘密警察の恐怖≠取りあげた番組も多くありました。社会主義体制を維持するためには、どうしても国民を徹底した管理下に置かなければなりません。そのためには、度を超えた自由は束縛する必要が生じるのです。しかし長年にわたる束縛が常態化すると、組織は硬直化し過敏になる傾向があります。このため少しの自由さえ取り締まりの対象となり、秘密警察は恐怖の存在となって人々を拘束し暴力をふるうようになります。また住民たちも密告等による相互不信が生じ、社会生活も息苦しいものとなっていました。こうした束縛が無くなったことは何にも増して嬉しい≠ニ語るのは、そうした拘束を経験し、今なおその後遺症に苦しむ人々です。

 このような混沌が続く中、報道する側はどちらにより重きを置いているか≠ニ注視していると、各メディア、日ごろの論調の違いがそのまま映像に表れたような報道をしていました。うがった見方かも知れませんが、最初から報道側の姿勢は固まっていて、それに沿うような映像編集を施しただけではないか≠ニも思えたのです。

 宮商和きゅうしょうわして自然じねんなる浄土世界

 結局、絶対王制が倒れて以来人々は何を問題としてきたのかというと、「平等を保障するか、自由を保障するか」という選択でありましょう。これは一時ベルリンの壁の崩壊時にほぼ決した≠ニ思われていたのですが、ここにきて新たな社会主義を目指す動きも出、また天安門事件で民主化の動きを抹殺しながら経済発展を続けている中国の動向もあり、混沌としたまま決着点を見いだせずにいます。

 このように、相矛盾する価値観が激突しあい、互いを打ち消しあい、人類の平和への歩みを妨げているありさまは、何とも嘆かわしい限りでありましょう。これを解決する何か良い智慧は無いのでしょうか。

 実は、宗教と政治は直接関わることは控えなければなりませんが、こうした混乱の解決を仏教に聞いてみますと、いくつかの智慧を見出すことができます。

 たとえば、親鸞聖人は――

清風宝樹[しょうふうほうじゅ]をふくときは いつつの音声[おんじょう]いだしつつ
宮商和きゅうしょうわして自然じねんなり 清浄薫しょうじょうくん[らい]すべし

『浄土和讃』41

と歌を詠まれています。
 常識の世界では、「[きゅう]」と「[しょう]」は西洋音階でいう「ド」と「レ」のように決して協和しない、水と油の関係のように、相矛盾して受け入れられない関係を象徴しています。しかし「浄土」、つまり覚りの世界においては、宮と商は互いに相手を破りながら和していく。矛盾するものに出会って互いを打ち消すのではなく、むしろ互いに[]えあい、かえって自らの価値が見出されてゆくのです。不協のままで和し、互いに自己実現を果たしてゆくのです。

 この智慧を現実にいただけば、「平等を保障するか、自由を保障するか」というのは二者択一[にしゃたくいつ]の問題ではないことが解るでしょう。
 真の「平等」を実現させるためには、「自由」という相矛盾する価値によって、単純な「平等」の価値が打ち破られたところの「平等」でなくてはならないでしょう。自由や個性を尊重する生き方によって、平等のもっている本来の価値が見出されてくるのです。
 逆に言えば、真の「自由」を実現させるためには、「平等」という相矛盾する価値によって、単純な「自由」の価値が打ち破られたところの「自由」でなくてはならないでしょう。平等や融和を尊重する生き方によって、自由のもっている本来の価値が見出されてくるのです。一方の価値のみを認め他方を認めずにいれば、いずれ共倒れになることは物事の道理なのです。

 こうしたことは、強さと優しさ、剛と柔、木を見るか森を見るか、生と死、清と濁、覚りと迷い、真と偽なども同じでしょう。独立しているようでいて実は単独では成立し得ず、矛盾する価値によって互いに相手を破りながら和していく。矛盾するものに出会って互いに映えあい、かえって自らの価値が見出されてゆく。こうした世界を覚ることこそ人生や社会を本当に成り立たせてゆく智慧となるのです。

[Shinsui]

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