平成アーカイブス <旧コラムや本・映画の感想など>
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平成21年1月13日
これは先師より聞いた話で資料的な裏づけは取れていないのだが、昭和の初期、「今は浄土を見失った時代だ」という言葉がさかんに人々の口に上ったのだという。明治・大正時代にはあった何か人々を包み込んでいたもの、結びつけていたもの、下支えしていたものがいつの間にか認識できなくなり、どこか空虚な不信感の中で人々は暮らしていたのだろう。
当時の日本人は宗教的な理解は今より上であったため、深い信頼関係を「浄土」と一言で表し、これを見失った嘆きを的確に伝えているのだ。つまり「浄土を見失った時代」というのは、「人と人、組織と組織、国と国を結ぶ深い信頼関係を見失った時代」という意味だ。困難はいつの世にもあるが、それを共に乗り越えてゆこうとするつながりが
実際それから日本は徐々に戦争にのめりこんでいくことになる。今日から言えば戦争は避けるべきだった≠ニ誰もが反対できるが、その時その場所に生きていないと解らないギスギスした時代感覚が当時はあって、誰もこの流れに
ところでこうした時代感覚は、政治や経済はもちろん、社会全体を覆う空気のようなものから、大地に根ざす人々の些細な言動からもかもし出されてくる感覚だ。この遠い昭和初期の言葉が現代の時代感覚と重なるのは何故だろう。
ちなみに昨年(平成20年)の新語・流行語大賞(ユーキャン)を見ると――「グ〜!」「アラフォー」「上野の413球」「居酒屋タクシー」「名ばかり管理職」「埋蔵金」「蟹工船」「ゲリラ豪雨」「後期高齢者」「あなたとは違うんです」が挙げられ、「今年の漢字」(財団法人 日本漢字能力検定協会)には「変」「金」「落」「食」「乱」「高」「株」「不」「毒」「薬」が選ばれている。しかしこうした表面に顕れた言葉の根元に何があるのか≠尋ねていかねば重大な警告を見逃してしまうことになるだろう。特に「派遣切り」に象徴されるうすら寒い感触は、徐々に人々から生きる温もりを奪ってゆくことになる。
するとやはり現代も「浄土を見失った時代」なのである。そしてこれは実に重大な警告であるとともに、実に明快に解決策を示してくれているとも言えるのだ。それは互いの信頼関係を取り戻すことに他ならならず、実際には、互いを認めあい、敬いあうことで実現してゆくことになる。「そんなことは百も承知」と言われるかも知れないが、承知していることを本気で実行するかどうかで全ては決るのである。
どんな困難でも解決する道は必ずある。そして解決策を見出し実行していく能力は全ての人々が持っている。ただその道を信じ、人々を信じてゆくことが案外難しいのである。そうした時は焦らず、奇策に走らず、ひたすら人間として歩むべき道を歩む他はないだろう。昭和前期のような失敗は二度と繰り返すべきではないし、その時以上の失敗も懸念しなければならない。そのためには一歩でいいから信頼できる関係≠ノ踏み出すこと、一言でいいから温かい言葉を添えること。
物事は案外、些細なことが決め手になるのである。
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