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【平成モニター】

平成15年8月31日

池田小事件の判決に思う

 無慚無愧のままに

 8月28日、大阪教育大付属池田小でおきた連続児童殺傷事件(平成13年6月)の犯人宅間守被告に対する判決公判が大阪地裁で行われ、川合昌幸裁判長は検察側の求刑通り死刑を言い渡した。
「8人の子どもの尊い生命を奪った我が国の犯罪史上例をみない、空前の、そして願わくは絶後の凶悪重大事件」という表現や、「再発防止のための真剣な取り組みが社会全体でなされることを願ってやまない」との裁判長の所見には肯く他ないが、暴言に終始する宅間被告の様子を聞くと、この裁判は凶悪事件防止に向けた第一歩とはならなかったのではないか、というもどかしさを感じてしまう。関係者の努力は評価するが、結果として解決策の片鱗さえ見出せなかったことは残念としか言いようが無い。被害者や遺族はじめ事件に巻き込まれた人々の心が少しでも癒されることがあるとするなら、ここにしか活路を見出せなかったはずだからである。

 例を見ない凶悪事件だからこそ、この事件に至るまでの被告の精神をつぶさに追い、家庭や社会が彼の殺意を転じていく術を具体的に見出すべきで、それができない限り第2第3の宅間守が出現することは避けられないのではないか。さらに、そうした凶悪な心が宅間だけではなく、自らの内にも隠されていることに注意を向けるべきだろう。

悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎のごとくなり
修善も雑毒なるゆゑに
虚仮の行とぞなづけたる

親鸞聖人著 『正像末和讃』(96)悲歎述懐讃より

 聖人の課題とこの事件ではそもそも次元が違う話と思われるかも知れないが、幾重もの縁によって犯罪から遠ざけられてきた私たちにとっても、家庭や社会の基盤が崩壊しつつある現状においては他人事と言い切れる問題ではない。

 ところで、ここであらためて言うまでもなく、阿弥陀如来は一切衆生を見捨てられない仏として常にはたらき続けられてみえ、当然、宅間被告に対しても慈悲のはたらき盛んなることを思う。ただ、こうした如来のはたらきが現実に展開されるには、社会が仏法を自然に受け入れていく環境が必要となり、それには仏教徒の深い領解と日々の活動が必須となる。
 しかし無慚無愧のまま全ての人間的触れ合いさえ拒否している被告の様子を聞くと、そこには絶望以外の何物も映し出されないことになり、激しい悲痛感を覚えざるを得ない。

 如来回向の功徳をいかにしてこの病んだ社会に届けることができるのか、仏教徒として真剣に考え直すべき時がきているのではないだろうか。

[Shinsui]

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