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御布施の「表書き」について

― 場面に応じながら教えに適った書き方を ―

浄土の風だより【仏教資料集】

 金封の表書き等について、具体的な場面に即して述べてみます。

 僧侶へ渡す御布施の表書き

「在家の人は、まさに財施[ざいせ]を行ずべし。出家の人は、まさに法施[ほうせ]を行ずべし」と『十住毘婆沙論[じゅうじゅうびばしゃろん]』にありますように、布施の基本は、僧侶は「法施」といってお経を読み法を説くことで心の糧を施し、門徒の方は「財施」といって法を味わい尊びながら財物を施します。「財施」は布施のひとつですから、
表書きの基本は「御布施[おふせ]で、これを袋の表の中央上部に書き、その下に施主(つまり自分)の名前を書きます。
 本質的には「御布施」は阿弥陀如来への報謝・お供えであり、僧侶への労働報酬ではありませんので、「御礼」「御経料」「回向料」「供養料」「御経志」などとは書きません。

 袋の表書きは基本的にこの「御布施」と名前だけでよいのですが、例えば「一周忌」と「入佛法要」を同じ日に勤める場合などは、「御布施」の文字の右肩にただし書きとして仏事の名称を添えることもあります。なお、浄土真宗では仏事を仏教の教えに即して勤め、迷信に従わないように心がけますので、名称には気をつけていただきたいのです。

 たとえば、仏壇をお入れする法要は「入佛法要[にゅうぶつほうよう](入仏式)とか「慶讃法要[きょうさんほうよう]といいますが、「開眼供養」とか「お性根(魂)入れ」とはいいません。
  同様に仏壇を移動する時には「お性抜き」とは言わず「遷座法要[せんざほうよう]」といい、
仏壇を廃棄する時は「閉扉法要[へいひほうよう]を勤めます。
お墓を建てた時の法要は「建碑法要[けんぴほうよう](建碑式)と言い、「お性根入れ」とはいいません。
 このように言葉を選ぶ理由は、お経を読んで仏壇等に何か霊魂のようなものを入れたり抜いたりするのではなく、仏壇の荘厳や読経を通して仏・浄土の功徳荘厳を慶び仏縁を尊ばせていただく、ということをはっきりさせるためです。形や名称を仏縁によって整え、家庭において深い真実のはたらきを見させていただくのです。さらに、如来の願成就のいわれを見聞きさせていただくことによって、今の私に至るいのちの長い歴史を訪ね、本当にご先祖さまを敬い遺徳を偲ぶこともできるのです。

 遠くの寺から僧侶に来ていただく時は「御車料[おくるまりょう]を添えることもあります。この場合の表書きは、袋の中央上部に「御車料」と書き、その下に施主の名前を書きます。
  また、年忌法要などで僧侶が食事を遠慮される場合は「御膳料[おぜんりょう]を別に用意することもあります。
 門徒主催で法話会などを催した場合、金封の表書きは「御布施」・「御法礼[ごほうれい]などとします。

 参列者のお供え

 親戚など他家の催す仏事に参列する時の金封についてですが、表書きは「御佛前[ごぶつぜん]・「御香資[ごこうし]・「御香典[ごこうでん]・「御供[おそなえ]などとし、下に名前を書きます。
  入仏法要や初参式や結婚式の慶事の場合も同様ですが、初参式や結婚式の場合は「御祝」と書くことが多いようです。

 報恩講や永代経など寺院主催の法要行事に参列した時は「御布施」「御供」「御仏前」「志[こころざし]などと書きます。

 「水引き」と「のし」について

「水引き」(紙糸)の色は世間の習慣に従って用いて下さい。つまり、入仏や結婚式や報恩講など慶びの時は金・赤・紅白などを用い、葬儀や中陰など悲しみの時は黒・黄・銀・黒白・黄白などを用います。他の年忌法要では黒・黄・黄白などの水引を用いるのが一般的です。ただし、水引の無い袋を用いても全く問題はありません。

 右肩にのし(色紙)のついている袋がありますが、これは仏教とは違う文化の形式です。仏事ではできるだけのしの付いていない袋を用意していただきたいのですが、購入できないときはのし付きの袋を用いてもかまいません。

 金封の渡し方

 僧侶に御布施を渡す時は、できるだけ袋をお盆にのせて渡します。さらに丁寧にするには、法要の前日か数日前に寺院に出向いて渡します。その際は、御布施の袋を袱紗[ふくさ]に包んで持参し、そのまま渡します。
 葬儀の御布施はあらかじめという訳にいきませんので、葬儀当日か後日寺院に持参します。
 渡す際には、「どうぞお供えください」等と言いますと、僧侶は「お預かりします」等と応えるでしょう。前述のように「御布施」は僧侶への労働報酬ではありませんので、<阿弥陀如来にお届けします>という気持ちを持って双方が挨拶するのです。

 他家の仏事に参列した時の金封の渡し方ですが、葬儀の場合は帳場に、結婚式は受け付けに出します。ただし近い親戚の場合などは、相手の家族に手渡しすることもあります。

 年忌法要などの場合は、仏壇の周囲にお供えする場所があればそこに供えるのですが、参詣者が読める方向、つまり逆さまにしないで供えます。そうした場が設けてなければ、施主の家族に「お供え下さい」と言って手渡します。

 布施の心得

「布施」は、インドの「ダーナ」(檀那[だんな])という言葉によったもので、施すことをいいます。布施には上記の「法施」と「財施」の他に、皆に畏怖[いふ]の念を抱かせない「無畏施[むいせ]があります。
 いずれの布施においても、「三輪清浄[さんりんしょうじょう]といいまして、施す人は施すことに執着して恩を着せたり驕り高ぶらず、施しを受ける側も施されたことを重荷に感じたり逆に要求したりせず、その金品や態度に双方とも執着しないことが肝心です。
 布施は大乗の菩薩の行ずべき徳目「六波羅蜜[ろくはらみつ]の第一であり、念仏者も仏恩報謝として布施の実践を行います。見返りを求めたり名誉心などの魂胆があっては本来の布施の精神に適いません(不清浄施)ので、これは慎まなければなりません。ですから財施を行なう際、いわゆる「布施の相場」というものは本来はありません。金額は施主の懇念であり、いくらと決めるものではないのです。
 しかし、<人並みにしたいから、平均的な額を知りたい>という人が多いのも事実でしょう。事実と遊離しては仏法がはたらきませんから、そうした相談を受けた場合、僧侶としては、原則を話した上で大まかなことでも応えないと、逆に不親切であり畏怖の念を抱かせてしまいます。
 よくよく考えてみれば、僧侶全てが本当に値段にこだわらないのなら良いのですが、結局は言葉や態度に不満が出る僧侶が多い、という事実があるためこうした相談を受けるのでしょう。ですから僧侶は「自らが三輪清浄を崩している」という立場に立って、懺悔の気持ちで値段の相談にも応えていかなければならないのではないでしょうか。

 なお『雑宝蔵経[ぞうほうぞうきょう]』には、お金や物や特別な知識がなくても行なえる布施として「無財[むざい]の七施[しちせ]が説かれています。

身施[しんせ]
冷淡な態度をとらず、立っていって迎えたり挨拶をする。捨身行も含め、身体を使って他人に奉仕をすること。
心施[しんせ]
他人や他の存在に対する思いやりの心。憎まず、他人への思いやりと気遣いの心をほどこすこと。
眼施[げんせ]
にらんだりせず、優しいおもいやりの眼を向けること。そこに居るすべての人の心がなごやかになる。
和顔悦色施[わげんえつじきせ](和顔施)
いやな顔をしないで、穏やかな楽しい顔つきをする。柔和な笑顔を絶やさないこと。
言辞施[げんじせ](言施[ごんせ])
乱暴な言葉をつつしみ、思いやりのこもった優しくあたたかい言葉をかけること。
床座施[しょうざせ]
無視せずに、自分の座席をゆずること。
房舎施[ぼうしゃせ]
人を追い出さず、歓待したり、わが家を一夜の宿に貸すこと。

 (参考:『浄土真宗必帯』本願寺出版社・『仏事と本願寺の話』永田文昌堂・『仏事のいろは』本願寺出版社・『仏事作法なんでも大辞典』中国新聞社 など)


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