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お盆を迎えて

― 餓鬼道からの解脱を喜ぶ行事(盂蘭盆会) ―

【仏教資料集】

お盆に関する質問


Q.1 『お盆』とはどういう意味ですか?

『お盆』とは『盂蘭盆[うらぼん]』もしくは『烏藍婆拏[ウランバナ]』の略された言い方で、もとを辿ると梵語(サンスクリット)の『ウラバンナ』倒懸(倒:さかさま 懸:吊り下げられた)からきた言葉と伝えられてきました。さかさ吊りの状態ですから、苦しみが続く訳です。これは道理に暗く、仏の教えや人の好意を逆に解してしまうために落ちるところです。

 ただこれには異説もありまして、イラン語の『ウルヴァンン』(霊魂)、もしくは『ウラヴァン』(正しい信者)を原語とするという説もあります。3つの説はかなり意味合いが違うようですが、お盆の起源となったお話の中に、これら3つの意味がキーワードとして出てきますので、学問的に決着を付ける事は難しいようです。

Q.2 お盆にはどういういわれ(故事)がありますか?

『盂蘭盆経』という経典が元となっています。この経典は、まずインドで中心となるストーリーがつくられ、中国に渡って孝養の徳目が加味されたものと思われます。内容は「餓鬼」に堕ちていた亡き母を、目連(釈迦十大弟子の一人)が釈尊の教えに従って救う故事をもととしています。

 以下にその経典の概略を載せますが、このお経のみならず、仏教経典には物語的な記述の裏に、自らを深く掘り下げてこそ味わえる本意がありますので、注意してお読み下さい。


『盂蘭盆経』 から

 このように聞こえてまいりました。
 釈尊が祇園精舎におられた時のことです。
 目連は六神通を得ていましたので、父母を覚りに導き、乳哺(お育て)の恩に報いようと思いました。
 ところが神通力で観てみると、亡き母は餓鬼の中に生れ、飲まず食わずで皮と骨ばかりになっていました。
 目連は悲しみ、鉢に飯を盛り、亡き母のもとへそれを持って行きました。
 母は左手で鉢を持ち、右手で飯をすくいますが、口に入れる前にそれは炎と燃え、炭となり、食べる事ができません。
 目連は大いに嘆き悲しみ、泣き叫びながら釈尊のもとへ急ぎ帰り、詳細を述べました。

 釈尊は言われました、
「汝の母は罪深く、汝一人の力では奈何[いかん]ともし難い。
 また汝の親を思う心が天地を揺るがしたとしても、天神、地神、邪魔、外道道士、四天王神もまた奈何ともし難い。
 ただ仏道を修行している僧たちの威大な力によってのみ、解脱を得ることができる。
 私は今まさに汝がために、救済の法を説く。
 これにより一切の苦難を離れ、罪障を消滅させなさい」と。

 釈尊はなお目連に告げられた、
「十方の修行僧が、雨安居(雨季の殺生を避けるため洞窟等に修行にこもる)の明ける七月十五日に僧自恣(修行の自発的な反省)をする時、
七世(すべて)の父母、及び現在の父母、厄難に苦しむ者のために、百味の飲食と果物、器、香油、燭台、敷物、寝具を用意し、世の甘美を尽くして盆中にわけ、十方の高僧、多くの修行僧を供養しなさい。
 この自恣の日、一切の聖なる修行者や、様々な段階にある修行者が、
皆同じく一心にこの飯を受ければ、清浄戒を具えた聖なる修行の道となり、
その徳は海のように広く深い。
 彼ら自恣の僧に供養することがあれば、現在の父母、七世(すべて)の父母、六種の親属は、地獄、餓鬼、畜生の苦しみから逃れ、時に応じて解脱し、衣食に困ることはない。
 現に父母が存命なら、その父母の福楽は百年に及び、
既に父母亡き後なら、七世(すべて)の父母は天に生れ、自在に生まれ変わり、天の華の光に入り、無量の快楽を受ける」と。

 釈尊は十方の修行者に命じられた――
 皆まず施主(布施をした者)の家の幸せを願い、七世(すべて)の父母の幸せを願え。
 禅定に入ってから後に、施された食を受けなさい。
 初めて食を受ける時は、まず仏塔(墓)の前に座り、皆の呪願が終ってから食を受けなさい。

 その時、目連およびその場に居た大菩薩衆は、皆大いに歓喜し、目連の悲嘆する泣き声は釈然と消えた。
 この日この時にこそ、目連の母は、一劫(無限に長い時間)の餓鬼の苦しみから開放されたのである。

 その時目連は、また釈尊にこう申し上げた、
「仏弟子を生んだ父母(私の父母)は、仏法僧三宝の功徳のお蔭を蒙[こうむ]ることができました。
 これも修行僧の威大なる力のたまものです。
 もし未来のすべての仏弟子でも、親に孝順を行う者は、
この盂蘭盆の教えで父母やすべての先祖を救済しようと願うでしょう。
 それで救われるのでしょうか」と。

 釈尊は言われた、
「よくぞ質問した。私がまさに説こうとしたことを汝は問うたのだ。
 皆の者よ、修行者はじめ国王から庶民にいたるすべての孝行者はみな、
父母やすべての先祖の為に、七月十五日の仏歓喜の日、
百味の飲食を十方の自恣の僧(90日の雨安居修行を終えた僧)に布施して、苦悩の解決を願えば、
現在の父母は百年病なく、一切苦悩の患いなく、
すべての先祖は餓鬼の苦しみを離れ、天に生れることができ、福楽は極まりない」と。

 釈尊は皆に言われた、
「仏弟子で孝行者はみな、いつも父母を憶い、すべての先祖を供養しなさい。
 毎年七月十五日には、いつも孝行の思いから、親やすべての先祖を憶い、
盂蘭盆を行い、仏や僧に施し、育てられた恩に報いなさい。
 もし仏弟子であるならば、この教えは必ず保ちなさい」と。

 その時、目連比丘はじめ、すべての仏弟子は釈尊の教えを聞いて歓喜し、実行した。


 以上が『お盆』のいわれとなった経典『盂蘭盆経』の概略です。ちなみに『盆踊り』については様々な歴史の経緯があるようですが、この時餓鬼道から救われた喜びから起った、と解してみるといいでしょう。

Q.3 『盂蘭盆経』は追善供養を勧めているのですか?

 上記の『盂蘭盆経』を表面的に見ますと、悪行の報いで餓鬼道に堕ちた亡者を、生きている者が追善の供養をして救う、と読めます。しかし前に述べた通り、仏教経典には物語的な記述の裏に、自らを深く掘り下げてこそ味わえる本意があります。
 さて、どんな意味が隠されているのか・・・ここで筆者の個人的な味わいを述べても良いのですが、それでは読者自身の味わいに水を差すことになります。そこでここでは、この経典を読む時の留意点だけを記すことにします。

自分から目を離さず読む。
 重要なのは、経典に書いてある事はすべて自分の問題として読むことです。「目連」を「私」として受け止めてみると、この物語が単に「2500年前のインドの物語」ではないことが解かります。

亡き母はなぜ餓鬼道に堕ちたのか
 よく「自業自得」という言葉を聞きます。そうすると、亡き母は自身の犯した罪のみで餓鬼道に堕ちたのでしょうか。仏教はそうした “個人に限定された狭い因果関係” のみで問題は発生しないことを明らかにしています。

餓鬼道に堕ちた者はなぜ食事を食べられないのか
 餓鬼道は欲望の盛んな者が堕ちるところで、餓鬼は常に飢え・渇き・苦しみに悩まされています。しかしそうであるなら、目連が鉢に飯を盛って行った時、真っ先にそれを得ようとするはずですが、なぜ亡き母はそれを食べられなかったのでしょう。また飯を食べようとした時に発する炎とは、一体何の事を表しているのでしょう。

多くの僧への供養とは何の事か
 僧自恣(修行の自発的な反省)をする時になされた供養ですが、修行僧にとっては、3ヶ月間の修行の仕上げの時です。目連も僧ですから、盂蘭盆は自身の修行を仕上げ、次の展開に移る為の教えだったのではないでしょうか。その時に、亡き母や先祖の恩に報いていこうという姿勢が出てきたのは、単に “孝養の徳” だけではないようです。

誰の為に供養をするのか
 他の人達を押しのけて、「我が子だけが幸せならば良い」と、特別扱いで愛情を注ぎ込んでゆく姿が親としての餓鬼の姿であるならば、「自分の父母や先祖のみが救われれば良い」と願う心も、やはり餓鬼の姿ではないでしょうか。それでは折角のお盆の行事が生かされていません。

何が“さかさま”なのか
『盂蘭盆』の意味は「さかさに吊るされる」という意味ですが、何が「さかさま」なのでしょう。一体誰が「さかさま」の状態だったのでしょう。そもそも、餓鬼道に堕ちていたのは本当に亡き母だったのでしょうか。

Q.4 浄土真宗はお盆の行事に余り熱心でないように見受けられますが?

 お盆の期間中、様々なお供え物を用意し、決められた作法を守って施餓鬼をし、先祖供養をする、という宗旨があります。というよりほとんどの宗旨がお盆に特別な行事をします。もちろん浄土真宗でもお盆の行事はしますが、他宗旨に比べると「特別な行事」という意識が薄いように見受けられます。
 これには理由がありまして、浄土真宗では『平生業成』という事が重要で、これは往生の業因(救われるかどうかの決定)が普段の信心にあるのであり、臨終の時を待つこと無く成就することを明らかにしています。そのため、盂蘭盆の教えも、お盆の時期だけでなく、一年中、一生の問題として受け止めてこそ意味を持ちます。ですから、この時期のみの行事として特別に実施している風には見えないのです。

以上


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