平成アーカイブス  【仏教Q&A】

以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
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【仏教QandA】

仏教は多神教か?
一向宗だけがなぜ宗教戦争をしたのか?

風土と宗教の関係を含めて

質問:

酷熱乾燥のアラビア半島で一神教のユダヤ キリスト イスラム教が興り
多湿温暖のインドで多神教のバラモン教が起こったのは 風土の影響があったのでしょうか?
 つまり 弱肉強食の過酷な社会に 創造唯一神の啓示宗教が起こり、大地の恵みに与かれる風土に多神教が興る 山ノ神に代表される神道もその一端で風土との整合性必然性があるのではないかと思うようになってきていますが、いかがでしょうか?

菩薩が多くおられる仏教については、自分では多神教ではないと思っていますが
いかがでしょうか?

最後に、織田信長と一向宗の戦いは日本史でも唯一の宗教戦争だと思っていますが、なぜ一向宗だけだったんでしょうか?

返答

◆ 風土と宗教の関係

「風土と宗教には密接な関係がある」ということはよく言われることです。砂漠で興った宗教には一神教が多く、豊穣の地で興った宗教には多神教が多い、ということもよく聞く説です。
 確かに、豊穣の地ではあらゆるところに形態の違った命の輝きが見られ、多神のイメージが湧きやすく、砂漠のような厳しい環境ではそうした想像が湧きにくい、ということは考えられると思います。しかし、現在につながる文明の中では、西洋や中東の歴史は一神教の伝播の歴史であり、多神教衰退の歴史でもありました。
 一神教は風土によらず伝播しますので、豊穣の地にも教えが伝わり一神教が一大勢力となることも稀ではありません。逆に多神教は風土が変ると伝播することが困難で、砂漠の地で多神教が一大勢力となる例はほとんど聞きません。

 現在の地球環境は、人間が自然を作り変え、大地や草木や小さな命が発する自然のリズムをかき消し、人工的な環境の上にあぐらをかいて暮らしていますので、人はますます多神教的な感覚を衰退させ、強烈な啓示宗教に取り込まれていくような気がします。

 ただ、神道における「風土との整合性必然性」の問題に結論を出すとなると、かなり私論を拡大させていかなくてはなりませんので、コーナーの性格上これ以上踏み込んだ論は省略させていただきます。

◆ 仏教は多神教か?

〉 菩薩が多くおられる仏教については、自分では多神教ではないと思っていますが
〉 いかがでしょうか?

という質問ですが、原則を言いますと、仏教では神の存在を肯定もしなければ否定もしません。ですから、多神教でもなければ一神教でもないのです。ただし無神論のように神を否定するのではなく、<神の支配や悪魔の恐怖から解放される>ということが本来の意です。経典には多くの神々が登場しますが、それらは神の実在を説いているのではなく、神になぞらえて仏の威光を顕すのです。仏が覚られたことを人類・生命全体の救いとして寿ぐ、ここを神々の喜びとして表現しているのです。

 釈尊は、「天上天下唯我独尊」と悟られ、それまで人類が神や悪魔のせいにしていた運命を、自らの行動によって人生を切り開いていく道理と方法を示されました。そして、わが人生をわが責任において生きることの尊さを説かれ、神にひれ伏し悪魔に怯えた生き方からの転換を勧められたのです。そして一切衆生に「悉有仏性」・「限りなく尊いいのちよ」と呼びかけられ、この呼び声に肯くことが仏教徒の信条であり歴史でした。
 いわば、「釈尊の覚りから、本当の人間の歴史が始まった」とも言えるのです。

 ですから、本来的には仏教は西洋のような神を前提とした啓示宗教ではありません。また、常に現実の声を注意深く聞き、自らの言行が生活の場において試されるなど、教条主義や法執に陥りにくい智慧とシステムが盛り込まれているのです。
 さらに、「諸仏」や「諸菩薩」を観るのは、大乗仏教において特長的なのですが、これを「多神教的」と単純に観てしまうと仏教の本来を見失います。例えば、大乗『涅槃経』の如来性品においては、先に引きました「一切衆生悉有仏性」と示されていますが、これは「仏性というものが生物本来に実体として宿っている」ということではありません。「仏性は善業の縁」と言われるように、如来の心が一切に転じる様を仏性というのです。
 いのちの尊さが肯けないところでは「仏性有り」とは申せません。「菩薩が多くおられる」ということは、如来の真実心は大慈悲であり、多くの迷いの存在を覚りに転じるはたらきであることをいいます。そして「一切衆生悉有仏性」とは、真実のはたらきが一切衆生に施され、衆生は菩薩としてついに大慈悲を得ていく、という現前の事実であり、この大慈悲が仏性であり如来そのものなのです。

 現実に展開されている有様をしっかり見ずに一般論として物事を見ることを仏教では批判しています。無批判に多神や唯一神を崇めれば、現実の私は宙に浮いてしまいます。仏教は表面上、多神教的に見えるのでしょうが、「本質的には違う」ということは言わなければならないでしょう。

◆ 一向宗だけがなぜ宗教戦争をしたのか?

〉 織田信長と一向宗の戦いは日本史でも唯一の宗教戦争だと思っていますが、なぜ一向宗だけだったんでしょうか?

 当時「浄土真宗」は「一向宗」と呼ばれていましたが、これは外部の呼称です(※ 宗名問題 「浄土真宗」と「真宗」について参照)。
 さて、基本的に宗教戦争というのは、宗教対立が遠因であったり引き金になった戦争のことをいいます。アラブとイスラエルの戦いや、プロテスタントVSカソリック、また十字軍遠征などはその代表的なものでしょう。
 比べて、織田信長と本願寺の戦いを見ますと、信長の野望VS本願寺の勢力といった図式でしかありません。宗教を含め日本の全ての勢力に対し、信長は自分の支配下に入ることを強要したのですが、本願寺はその余りの要求の理不尽さに戦いを余儀なくされたのでした。信長がどのような宗教観を持っていたのか分かりませんが、彼の信じる宗教に戦いを挑んだ訳ではありませんので、世界的に見ればあれは宗教戦争ではなく、宗教弾圧に対する大規模な抵抗であり、法難ともいえるものでしょう。

 もちろん、単なる「弾圧に対する抵抗」という図式では語れない複雑な事情もあったようですし、この戦いの評価は必ずしも一定しません(資料のほとんどが焼失したため)。ただし、これを「歴史的必然」と見てしまう傾向があって、私はとても危惧しています。
 つまり、「本願寺の敗北によって日本は政教分離を果たし、近代化するための礎となった」と見る学者がいるのですが、宗教が権力の支配下に入るということは、体制を批判したり、為政者を善く導く術を失うことにつながるのです。事実、江戸時代には寺院は幕府の手先となり、支配の片棒をかついだため、宗教本来の活動はないがしろになってしまいました。
 宗教が権力とは独立して存在し、人びとの悩みに応え生き甲斐を与える立場から、時として権力者に批判も加える――というような近代国家に日本がなった可能性もあるのですから、「歴史的必然」として運命的に語ることは、現状追認でしかなく、現状を変える術さえ削いでしまう結果になってしまいます。

 ところで、「織田信長と一向宗の戦いは日本史でも唯一の宗教戦争だと思っています」というご理解ですが、ご存知のように信長は比叡山を焼き討ちしていますので、本願寺の抵抗を「宗教戦争」と言うのならば、天台宗も宗教戦争を経験したことになります。ただ当時の天台宗は、歴戦を戦った織田軍にとっては敵と言えるほどの勢力ではなく、一気に片がついてしまいました。これを見て、多くの宗旨宗派は恐怖を覚え、信長の強権には唯々諾々と従うしかありません。
 しかし本願寺は大名を凌ぐほどの勢力を持っていましたし、「教団を護るためなら」と、全国から支援がありましたので、十年の長きに渡る抵抗になりました。ですから、「なぜ一向宗だけだったんでしょうか?」という問いには、「本願寺が巨大すぎたから」とお答えすべきでしょうか。
 ただし、「当時の本願寺の姿勢は正しかった」とは私は全く思いません。信心の本質を逸脱した「進者往生極楽 退者無間地獄」のスローガンは特に批判すべきでしょう。


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