平成アーカイブス  【仏教Q&A】

以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
[index]    [top]
【仏教QandA】

浄土真宗と法華経など諸経との関係

阿弥陀如来の願力自然の内にある諸経典

質問:

「親鸞聖人の思想と法華思想は相容れない」と聞いていたのですが、最近、「親鸞聖人は晩年に法華経を尊重していた」と何かの本に書いてあるのを見かけました。浄土真宗の立場から見ると、法華経というお経とはどんなお経と思えばよいのでしょうか?

返答

 この質問にお応えするには、親鸞聖人の著述等から『法華経』の引用を調べるとともに、聖人の三願転入についても触れなければなりません。遠回りになりますが、少し踏み込んで解説させていただきます。

◆ 『法華経』の引用から

 親鸞聖人は『顕浄土真実教行証文類』等の著述において、阿弥陀如来の浄土に直接関係する経典や書物の引用が中心となっていますが、それ以外に様々な聖道の諸経も引用されています。多用されているのは大乗の『涅槃経』や『華厳経』からですが、『法華経』からも少し引用がありますので一部ご紹介しますと――


王日休がいはく(龍舒浄土文)、「われ『無量寿経』を聞くに、〈衆生、この仏名を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せんもの、かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住す〉と。不退転は梵語にはこれを阿惟越致といふ。『法華経』にはいはく、〈弥勒菩薩の所得の報地なり〉と。一念往生、すなはち弥勒に同じ。仏語虚しからず、この『経』はまことに往生の径術、脱苦の神方なり。みな信受すべし」と。

『顕浄土真実教行証文類』(親鸞聖人著) 信文類三(末) 便同弥勒釈

【現代語訳】
 王日休が『龍舒浄土文』にいっている。
 「『無量寿経』をうかがうと、<すべての人々は、阿弥陀仏の名号のいわれを聞いて信じ喜ぶまさにそのとき、浄土に生まれようと願うたちどころに往生すべき身に定まり、不退転の位に至るのである>と説かれている。不退転の位とは、インドの言葉では阿惟越致という。『法華経』には<弥勒菩薩が長い間行を修めて得られた位である>と説かれている。信じ喜ぶまさにそのとき往生する身に定まれば、すなわち弥勒菩薩と同じ位になる。仏のお言葉にいつわりはない。この『無量寿経』はまことに往生の近道であり、迷いを離れることができる不思議な方法である。みなこの経を信じるべきである」


〈出第五門とは、大慈悲をもつて一切苦悩の衆生を観察して、応化身を示して、生死の園、煩悩の林のなかに回入して、神通に遊戯し、教化地に至る。本願力の回向をもつてのゆゑに。これを出第五門と名づく〉(浄土論)とのたまへり。〈応化身を示す〉といふは、『法華経』の普門示現の類のごときなり。

『顕浄土真実教行証文類』 証文類四 還相回向釈 引文

【現代語訳】
〈出第五門とは、大慈悲の心をもって、苦しみ悩むすべての衆生を観じて、衆生を救うためのさまざまなすがたを現し、煩悩に満ちた迷いの世界に還ってきて、神通力をもって思いのままに衆生を教え導く位に至ることである。このようなはたらきは阿弥陀仏の本願力の回向によるのである。これを出の第五門という〉と述べられている。〈救うためのさまざまなすがたを現す〉とは、『法華経』の普門示現に観音菩薩が衆生を救うためにさまざまなすがたを現すことが説かれているようなものである。


 また『愚禿鈔』や『一念多念証文』・『親鸞聖人御消息』にも法華経について記述があります。


聖道・浄土の教について、二教あり。
     一には大乗の教、      二には小乗の教なり。
大乗教について、二教あり。
     一には頓教、        二には漸教なり。
頓教について、また二教・二超あり。
 二教とは、
     一には難行聖道の実教なり。いはゆる仏心・真言・法華・華厳等の教なり。
     二には易行浄土本願真実の教、『大無量寿経』等なり。
二超とは、
     一には竪超  即身是仏・即身成仏等の証果なり。
     二には横超  選択本願・真実報土・即得往生なり。

『愚禿鈔』(親鸞聖人著) 上 二双四重


「所謂真言止観之行」といふは、「真言」は密教なり、「止観」は法華なり。「ミ猴情難学」といふは、この世の人のこころをさるのこころにたとへたるなり、さるのこころのごとく定まらずとなり。このゆゑに真言・法華の行は修しがたく行じがたしとなり。

『尊号真像銘文』(親鸞聖人著)

【意訳】
「所謂真言止観之行」[しょいしんごんしかんしぎょう]というのは、「真言」は密教であり、「止観」は法華宗である。「ミ猴情難学」[みこうじょうなんく]というのは、この世の人の心を(大きな)猿の心にたとえたのである。猿の心のように定まっていないということである。このため、真言・法華の行は修めがたく行いがたいのである。


「非権非実」(唯信鈔)といふは、法華宗のをしへなり。浄土真宗のこころにあらず、聖道家のこころなり。かの宗のひとにたづぬべし。

『唯信鈔文意』(親鸞聖人著)

【意訳】
 「非権非実」、つまり中道実相の教えで方便と真実の差別を超えた絶対真実の教えは、法華宗の教えである。浄土真宗のこころではなく、聖道家のこころである。そのの宗の人に尋ねてみなさい。


 選択本願は有念にあらず、無念にあらず。有念はすなはち色形をおもふにつきていふことなり。無念といふは、形をこころにかけず、色をこころにおもはずして、念もなきをいふなり。これみな聖道のをしへなり。聖道といふは、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり。仏心宗といふは、この世にひろまる禅宗これなり。また法相宗・成実宗・倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。権教といふは、すなはちすでに仏に成りたまへる仏・菩薩の、かりにさまざまの形をあらはしてすすめたまふがゆゑに権といふなり。
 浄土宗にまた有念あり、無念あり。有念は散善の義、無念は定善の義なり。浄土の無念は聖道の無念には似ず、またこの聖道の無念のなかにまた有念あり、よくよくとふべし。
 浄土宗のなかに真あり、仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。

『親鸞聖人御消息』(親鸞聖人著)

【意訳】(中央公論社・『親鸞』より)
 弥陀が選びぬかれた本願の念仏は、有念のものでも無念のものでもありません。有念とはすなわち色や形を心におもうことであり、無念というのは形を心にかけず、色を心におもわず、念うということさえないことをいいます。これらはまったく聖道の教えであります。聖道というのは、すでに仏となられた人がわたしたちの心を勧め導くためにひらかれた仏心宗・真言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教えであります。ここで仏心宗というのは、いま世にひろまっている禅宗がこれであります。また法相宗・成実宗・倶舎宗等の権教や小乗などの教えもそれで、これらはみな聖道に導く教えであります。権教というのは、すなわちすでに仏となられた仏や菩薩が仮にさまざまの形を現わしてお勧めになるので権教というのです。
 浄土宗にもまた有念・無念の二つがあります。有念は三昧にはいっていないという意、無念は三昧にはいっているという意であります。しかし浄土の教えでいう無念は、聖道でいう無念とは違います。またこの聖道でいう無念のなかにも有念のものがあります。これらはよくよくその道の人に尋ねてください。
 浄土宗の教えに真実のものと、仮のものとがあります。真実のものというのは選びぬかれた本願であり、仮のものというのは三昧にはいることと三昧にはいらないで行なう善との二つであります。そしてこの選びぬかれた本願は浄土の真実の教えであり、三昧にはいることと三昧にはいらないで行なう善との二つは方便の仮の教えであります。浄土の真実の教えは大乗のなかの至極であります。


 また聖人の近くにおられた方々や、蓮如上人の文にも法華経の記述があります。


いまの三経をもつて末世造悪の凡機に説ききかせ、聖道の諸教をもつてはその序分とすること、光明寺の処々の御釈に歴然たり。ここをもつて諸仏出世の本意とし、衆生得脱の本源とする条、あきらかなり。いかにいはんや諸宗出世の本懐とゆるす『法華』において、いまの浄土教は同味の教なり。『法華』の説時八箇年中に、王宮に五逆発現のあひだ、このときにあたりて霊鷲山の会座を没して王宮に降臨して、他力を説かれしゆゑなり。これらみな海徳以来乃至釈迦一代の出世の元意、弥陀の一教をもつて本とせらるる大都なり。

『口伝鈔』(覚如上人著)

【意訳】
 これら三つの経(大経・観経・阿弥陀経)を末世・造悪の凡夫に説き聞かせて、聖道の諸々の教えは浄土の教えの導入部とする。これは善導大師の様々な解釈に歴然とあらわされている。これこそが諸仏のお出ましになられる本意であり、衆生が解脱を得る根源であることは明らかである。あらためて言うまでもなく諸々の宗旨が「仏の現れた本意」と奨励する『法華経』において、同時に説かれた『観経』には同じ醍醐味である一乗円教が説かれている。なぜなら、釈尊が『法華』を説かれている八年の間に、王舎城においてアジャセ王が五逆の罪を犯すという事件が生じた時、霊鷲山での法華の説教を休止して王宮に降臨し阿弥陀如来の他力の教えを説かれたからである。これらはみな海徳から釈迦まで世に如来のお出ましいただいた元来の意味で、弥陀の教え一つを説くことが本懐であったとするあらましである。


いはゆる「妙荘厳王の雲雷音王仏にあひたてまつり、邪見をひるがへし仏道をなり、二子夫人の引導によりしをば、かの三人をさして善知識と説けり」(法華経・意)。また法華三昧の行人の五縁具足のなかに得善知識といへるも、行者のために依怙となるひとをさすとみえたり。されば善知識は諸仏・菩薩なり、諸仏・菩薩の総体は阿弥陀如来なり。

『浄土真要鈔』(存覚上人) 末

【意訳】
いわゆる「妙荘厳王が雲雷音王仏に遭われて、邪見をひるがえして仏道に入ったのは、二子と夫人の勧めによるのだが、その三人は善知識であったと説いてある」(法華経・意)。また法華三昧という真理悟入の行をする人が、五種のそなわっている縁の中に善知識を得る、というのも、行者のためにたよりとなる人をさすと理解できる。そうであるから、善知識は諸仏・菩薩である。諸仏・菩薩の本体は阿弥陀如来である。


むかし釈尊、霊鷲山にましまして、一乗法華の妙典を説かれしとき、提婆・阿闍世の逆害をおこし、釈迦、韋提をして安養をねがはしめたまひしによりて、かたじけなくも霊山法華の会座を没して王宮に降臨して、韋提希夫人のために浄土の教をひろめましまししによりて、弥陀の本願このときにあたりてさかんなり。このゆゑに法華と念仏と同時の教といへることは、このいはれなり。これすなはち末代の五逆・女人に安養の往生をねがはしめんがための方便に、釈迦、韋提・調達(提婆達多)・闍世の五逆をつくりて、かかる機なれども、不思議の本願に帰すれば、かならず安養の往生をとぐるものなりとしらせたまへりとしるべし。

『御文章』(蓮如上人著)四帖 3

【意訳】(国書刊行会・『蓮如の手紙』より)
 さて、昔、お釈迦様が霊鷲山にいらっしゃって、一乗の教えと讃えられる『法華経』をお説きになっていたときに、提婆が阿闍世をそそのかして、親殺しの罪を犯させるという事件が起こりました。
 そこでお釈迦さまは、もったいなくも、霊鷲山での『法華経』の説法の座を立たれて、王宮へおいでになり、韋提希夫人のために浄土の教えをひろめられたので、阿弥陀さまの本願が今の時代に盛んとなったわけです。そして、このために、『法華経』と『観無量寿経』のお念仏とは同じときに説かれた教えであるといわれています。
 これはとりもなおさず、末世の五逆の悪人と女性に、極楽への往生を願わせるための手だてとして、釈迦、韋提希・提婆・阿闍世が力を合わせて、五逆の罪を犯すというドラマを作りあげたものと考えられます。そして、このような罪の深いものであっても、人知では思いはかることのできぬ阿弥陀如来の本願に帰依すれば、かならず極楽への往生をとげることができるのだ、とお知らせくださったのである――とお受け入れください。


 列挙すると多いようですが、大乗仏教において重要な経典のひとつとされる『法華経』の立場を考えると、引用は非常に少ないと言わざるをえません。それに対して『顕浄土真実教行証文類』には浄土三部経以外の経典としては『涅槃経』(大乗)や『華厳経』が多用されています。

 なぜこのような偏りがあるのか、という問題に答えるためには、総合的で詳細な検討が必要でしょうが、『涅槃経』の特徴を見てみることで、おのずと答えは出てくるかも知れません。

◆ 『涅槃経』について

『法華経』と『涅槃経』はともに大乗仏教を総合的・統一的にとらえる主旨で編纂されたもので、どちらも膨大な情報が詰め込まれていて、小乗仏教(部派仏教)に対する批判と大乗仏教の立場を大々的に宣伝しているところが共通点となっています。ただし『法華経』は膨大で複雑に入り組んだ大乗仏教の教学を強烈な教相判釈で整理し方向性を示したことにより一応の完結を見ているのに対し、『涅槃経』は編纂が非常に長期にわたっていて、一旦完結しそうになった後も、次々新たな視点が加わり、結局完全には整理がつかず、矛盾を孕んだまま提示されています。しかしそこに含まれる一切衆生を済度するという思想と、それを方法論として確立させようとするチャレンジ精神には、阿弥陀如来の浄土を彷彿とさせる教学の萌芽が見て取れます。

 例えば『涅槃経』には有為の四顛倒と無為の四顛倒という、逆転の発想のようなものが見受けられ、「現象の世界は無常・苦・無我・不浄であるが、永遠の世界では常・楽・我・浄である」と説かれます。また――

などが説かれます。
 特に「我」を認めているところは、一つ間違うと無我の基本を逸脱しかねない波乱もありますが、無我の境地にとどまっていた当時の仏教界に風穴を開けた功績は大きかったといえるでしょう。つまり、覚りを求める主体を真我・大我と示し、社会や人間の問題に対しても積極的に関わる姿勢を持ったのでした。

 このあたり、国譯一切経の翻訳に当った常盤大定氏は『涅槃経』の「佛教史上の地位」について、

 佛滅一百年頃に、大衆・上座両部の分裂と共に佛教徒の間に異論を生じてきた。即ち上座部系統が、何處迄も保守的に機械的に考えやうとする態度であるに対して、大衆系統にあっては、やや積極的に自由に解釈せうとした。上座部系では佛身を人の大覚に到達せるものと考へたるに対し、大衆部は佛を人間以上の超人と考へ、遂に色身無辺の説を出し、心性説に於ては、心性本浄・客塵煩悩の説を出した。此の大衆部の考え方を出発点に後の大乗仏教が現はれるに至った。
(その後多々の大乗教思想が乱立)
 佛教内の思想問題は、帰趣する所を知らぬ有様であった。加え、外道にあっては、六師の説あり数論勝論あり、奥義書の正系を持せんとする吠檀多の思想ありといふわけであった。本経(涅槃経)の作者は、之等の思想の悉くに通じてゐたものゝ様である。而してその中には、氷炭相容れざる思想もあったが、悉くを般若の批判原理に照して、自家薬籠中のものとした。之が、今日に残る大般涅槃経である。法華経が一種の佛教統一論であった様に、涅槃経も、亦過去の雑然たる佛教の各思想を一貫した佛陀の真意に到達せんとする、一種の統一論的作品であった。而して空に裏付けられた有なるが為に、佛教としては思い切った説ではあるが、或る意味に於いて、成功したものである。
国譯一切経 大東出版社蔵版 涅槃部 涅槃経解題
と、解説されています。

 『大無量寿経』は、そうした大乗仏教の殻をさらに破り矛盾点を解決し、『華厳経』に説かれる存在することの尊さを受け継ぎ、さらに歴史社会の立場に立って、阿弥陀如来の四十八願に昇華して再構成し、現実の濁世に浄土のはたらきを示しています。そこで聖人は、未整理であった『涅槃経』を引用することで教学の繋がりがスムーズに進行し、人々に究極の浄土に転入させていくことができると考えられたのでしょう。しかし独特の教相判釈を加えて聖道門として完結した『法華経』からは、同じ大乗仏教経典であっても繋がりが複雑にならざるを得ないのでしょう。いわば方向性の違いが出てしまっているのです。

◆ 聖人の三願転入

 続いて、親鸞聖人の三願転入についてみてみましょう。

 親鸞聖人著『顕浄土真実教行証文類』におきまして、「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり」と記されたことはご存知かと思います。この大いなる自信は、聖人の長年にわたる求道生活から自ずと生み出されてきた境涯であり、ご自身で作り出した心ではなく、如来より賜りたる信心であるがゆえに、金剛の心であると受けとることができた訳でしょう。

 しかし、このような大信心をいただく道は、決して平坦なものではありませんでした。
 天台宗の教学の中心は法華経でしたが、聖人(範宴)は9歳より比叡山に登り、20年間命がけで修行に取り組まれます。ところが、その行は何の実りももたらさず、挫折と絶望の果てに、聖徳太子の示現の文を感得し、吉水の法然上人のもとに通われました。

 さて、法然上人に出会われて聖人は直ちに真実信心を得られたかと言いますと、そう単純なものではありません。

まことに知んぬ、専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず。ゆゑに宗師(善導)は、「かの仏恩を念報することなし。業行をなすといへども心に軽慢を生ず。つねに名利と相応するがゆゑに、人我おのづから覆ひて同行・善知識に親近せざるがゆゑに、楽みて雑縁に近づきて往生の正行を自障障他するがゆゑに」(礼讃)といへり。
 悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号をもつておのれが善根とするがゆゑに、信を生ずることあたはず、仏智を了らず。かの因を建立せることを了知することあたはざるゆゑに、報土に入ることなきなり。
『顕浄土真実教行証文類』(親鸞聖人著) 化身土文類六(本) 真門釈 結示
【現代語訳】
 いま、まことに知ることができた。もっぱら念仏しても、自力の心で励むものは大きな喜びの心を得ることができない。だから善導大師は『往生礼讃』に、「自力のものは仏の恩に報いる思いがなく、行を修めてもおごり高ぶる心がおきる。それは、いつも名誉や利益を求めているからであり、<わたしが>というとらわれの心におおわれて、同じ念仏の行者や善知識に親しみ近づくことがないからであり、好んでさまざまな悪に近づき、自分および他人が本願の名号をいただいて浄土に往生する道をさまたげるかあである」といわれている。
 悲しいことに、煩悩にまみれた愚かな凡夫は、はかり知れない昔から、他力念仏に帰することなく、自力の心にとらわれているから、迷いの世界を離れることがない。果てしなく迷いの世界を生まれ変わり死に変わりし続けていることを考えると、限りなく長い時を経ても、本願力に身をまかせ、信心の大海に入ることはできないのである。まことに悲しむべきことであり、深く嘆くべきことである。大乗や小乗の聖者たちも、またすべての善人も、本願の名号を自分の功徳として称えるから、他力の信心を得ることができず、仏の智慧のはたらきを知ることがない。すなわち阿弥陀仏が浄土に往生する因を設けられたことを知ることができないので、真実報土に往生することがないのである。

 このように、信順の心を起こして念仏しようと思っていても、おごり高ぶる心がおき、自分の名誉や利益を求めたり、自我のとらわれの心に覆われていて同行や上人たちの勧めに親しみ近づくことができません。さらに見た目だけが立派な雑行を好む心があるため、正しい行を妨げるのです。

 こうした自我の壁を打ち破って、聖人はいよいよ三願転入を果たしていかれます。

ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要をひろうて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、ことにこれを頂戴するなり。
『顕浄土真実教行証文類』 化身土文類六(本) 三願転入

【現代語訳】
 このようなわけで、愚禿釈の親鸞は、龍樹菩薩や天親菩薩の解釈を仰ぎ、曇鸞大師や善導大師などの祖師方の導きにより、久しく、さまざまな行や善を修める方便の要門を出て、永く、双樹林下往生から離れ去り、自力念仏を修める方便の真門に入って、ひとすじに難思往生を願う心をおこした。しかしいまや、その方便の真門からも出て、選択本願の大海に入ることができた。速やかに難思往生を願う自力の心を離れ、難思議往生を遂げようとするのである。必ず本願他力の真実に入らせようと第二十願をおたてになったのは、まことに意味深いことである。
 ここに久しく、本願海に入ることができ、深く仏の恩を知ることができた。この尊い恩徳に報いるために、真実の教えのかなめとなる文を集め、常に不可思議な功徳に満ちた名号を称え、いよいよこれを喜び、つつしんでいただくのである。

 以上のように、自力聖道門を捨てて法然門下に入った最初の段階では、「万行諸善の仮門・双樹林下往生=さまざまな行や善を修める方便の要門」、つまり<自分が定善散善の様々な善根功徳を積み、その力で浄土に生まれようとする>という第十九願・『観無量寿経』に顕れた〔要門諸行による方便化土への九品往生〕に固執してみえた。

 続いて、「善本徳本の真門・難思往生=自力念仏を修める方便の真門に入って、ひとすじに難思往生を願う心をおこした」、つまり<念仏を称えることが救われる道であると気づき、心を励まして称え、その力で浄土に生まれようとする>という第二十願・『阿弥陀経』に顕れた〔真門自力の称名による方便化土の疑城胎宮への往生〕に進まれた。

 やがて、「選択の願海・難思議往生=選択本願の大海に入ることができた。・・・難思議往生を遂げようとする」つまり<ただ仏の誓いを信じて、すくわれる身の喜びの上から念仏申すほかはない>という究極の第十八願・『無量寿経』に顕れた内容〔弘願念仏による真実報土への往生〕に転入されていかれたわけです。

 この中で興味深いのは「果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな」というお味わいで、称名念仏がいかに大事な行であるかがうかがえるのです。つまり究極的には<私たちの思い計ることのできない大きなはたらきによって、現に弥勒菩薩と同じ位になり、したがって往生も間違いない>ということで、阿弥陀如来の先手のおはたらきとして名号を尊ぶわけですが、私たちが勤め励んで称[たた]える「南無阿弥陀仏」の念仏が呼び水となっていることを忘れてはならないのです。

 また、『顕浄土真実教行証文類』 化身土文類六(末) 後序には、

建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。
と記されています。

これによって、逆に『法華経』はじめ聖道の諸教を見る目も定まってきます。

まことに知んぬ、聖道の諸教は在世・正法のためにして、まつたく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまふをや。
『顕浄土真実教行証文類』 化身土文類六(本) 聖道釈 二門通塞

【現代語訳】
 いま、まことに知ることができた。聖道門のさまざまな教えは、釈尊の在世時代と正法の時代のためのものであって、像法や末法や滅法の時代とその人々のためのものではない。すでにそれは時代にあわず、人々の資質に背くものである。浄土の真実の教えは、釈尊の時代にも、正法や像法や末法や法滅の時代にも変りなく、煩悩に汚れた人々を同じように慈悲をもって導いてくださるのである。

 このように、聖道の諸教は人々が純朴な時代なら適応できたけれども、複雑で諸悪はびこる時代では絵に描いた餅でしかなく、どんな時代でも人を導く力が一切失われないのが『無量寿経』であると述べてみえます。

 さて、ここで肝心なのは、『法華経』はじめ聖道の諸教から、第十九願・『観無量寿経』、第二十願・『阿弥陀経』への転入は、自らの選択においてなされていますが、究極の道である第十八願・『無量寿経』への転入は、ある日ある時「自分で選択した」という恣意的なものではなく、「私に限りないいのちが至り、本願がはたらいていて、それが意識や行動にまで現れたため、私自身も気付くことができた――と知る」ということなのです。言わば「必然的にこの選択に至った」という、いのちの道理に肯いただけなのです。

 「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて迎へんと、はからはせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。
『親鸞聖人御消息』(14) 自然法爾の事

【意訳】(中央公論社・『親鸞』より)
 自然というのは、元来そのようにさせるという言葉であります。阿弥陀仏のお誓いはもともと、人がはからいを離れて南無阿弥陀仏と、仏をたのみたてまつるとき、これを迎えいれようとおはからいになったのですから、人がみずからのはからいを捨てて、善いとも悪いともはからわないことを自然というのである、と聞いています。

 『観無量寿経』や『阿弥陀経』の立場であれば聖道の諸経は「自分や時代にそぐわないもの」として排除されるのですが、第十八願・『無量寿経』の場に立てば、諸経でさえ如来の願力自然によるはからいの内にあることが見えてくる訳です。もっと言えば、聖人の20年間にわたる法華経や観経の定善を中心とした比叡山での修行も、第十九願や第二十願の自力の行も、選択本願の大海に入るための如来のはからいであった、と味わうことができます。

 ですから、晩年の親鸞聖人のお心を推察させていただくと、諸仏・諸経典であっても阿弥陀如来のみ名を称えるご縁として尊び、ますます念仏のお育ての内に日暮しをされてみえたと思われます。


[index]    [top]

 当ホームページはリンクフリーであり、他サイトや論文等で引用・利用されることは一向に差し支えありませんが、当方からの転載であることは明記して下さい。
 なおこのページの内容は、以前 [YBA_Tokai](※現在は閉鎖)に掲載していた文章を、自坊の当サイトにアップし直したものです。
浄土の風だより(浄土真宗寺院 広報サイト)